ニッケイ新聞 2010年2月18日付け 「あいつらが甲子園のグラウンドで野球をしているなんて夢のよう」(須長三郎)。2年生だった一昨年の夏、奥田ペドロと伊藤ディエゴを擁して初の甲子園を戦いぬいた本庄一の指揮官は感慨深げにつぶやいたが、その道のりは険しいものだった。 留学当時、二人の三世がまず悩んだのが野球のレベルもさることな ...
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ブラジルの風が運んだサヨナラ本塁打=高校球児=奥田ペドロ=(中)
ニッケイ新聞 2010年2月16日付け 「夢はプロ野球選手だった。本当は日本でもアメリカでもどっちでも良かった」。甲子園を現実的な目標とするブラジル球児が多い中、当初から奥田ペドロのプロ志向は高かった。きっかけは、伊藤ディエゴとともに門を叩いたイビウナ市にある「セントロ・トレイナメント・デ・ヤクルト」。通称、アカデミーである。 ...
続きを読む »ブラジルの風が運んだサヨナラ本塁打=高校球児=奥田ペドロ=(上)=「ママイ、元気になって」
ニッケイ新聞 2010年2月13日付け 2008年8月5日。日本移民百周年の記念すべき節目の年に高校野球の聖地に立ったひとりの日系三世が、ド派手なフェスタを演出した。 本庄一(埼玉)の応援団で埋め尽くされた一塁側のアルプス席でブラスバンドが奏でるのは、ラテンの国からやってきた留学生のために用意された軽快な「テキーラ」のリズム ...
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