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2010年

ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《7》=サンフアン=半世紀かけて得た安定=「苦労したけど、今幸せ」

ニッケイ新聞 2010年10月29日付け  午後1時ごろ始まった交流会には約300人が参加。牛、豚、鶏、野菜など地元の生産物、ボーガという名の川魚やマスの刺身など、婦人会が腕によりをかけた料理がずらりと並んだ。  「これからもボリビアとブラジルの日系人で交流を深めたい」と与儀会長が感謝のあいさつ。澤元静雄副会長の発声で乾杯し、食 ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《6》=サンフアン=「犬も通わぬ」も今は昔=ボ国卵市場の7割占める

ニッケイ新聞 2010年10月28日付け  05年に入植50周年を祝ったサンフアン移住地。昨年は日本人移住110周年式典出席のため同国を訪れた常陸宮同妃殿下もオキナワ移住地と同地を訪問された。  日比野正靭会長(71)は、「サントスからノロエステ線でボ国へ向かう途中、沿線の日本人から差し入れを受け、『そんな遠いところ何もないから ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《5》=解散危機もあったオキナワ=入植55周年のサンフアンへ

ニッケイ新聞 2010年10月27日付け  オキナワ第一移住地での交流を終えると、一行はバスで約40キロ離れた第二移住地へ。舗装道路は一転し、砂埃が視界をふさぐ土道だ。第二のヌエバ・エスペランサ校(島袋小百合校長)に到着すると、運動場で教師、生徒らが一行を待っていた。今年創立50周年。全校生徒120人のうち約3割が日系で、ほとん ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《4》=日本人でもアメリカ人でもなかった=入植56年、いま「住みやすい」

ニッケイ新聞 2010年10月26日付け  16歳でうるま植民地へ入った比嘉さん。「とにかくひもじかった」と入植当時を思い出す。「再訪した人に『先見の明があった』と言われたけど、金がなくて出られなかったんですよ」と笑う。  父安栄さんの「団体から出てはいけない」という言葉を振り返り、「植民地は自分で開拓するもの。こんなものと思っ ...

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日本語教育リレーエッセイ=《2》=2番目のマイホーム=川畑暁美

ニッケイ新聞 2010年10月23日付け  私はピラール・ド・スール日本語学校の卒業生です。学校とのつながりは私が3才の時からです。  最初はもちろん他のどの子供と同じように遊んでばかりいて、いたずらをし、女の子一人の私がいつもバツ当番をさせられて、周りにいる先生、生徒、親、その環境は全て当たり前で、何も気付かず毎日を過ごしてい ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《3》=オキナワ=焼畑、綿から「小麦の都」に=西・日語教える日ボ学校

ニッケイ新聞 2010年10月22日付け  会館で休息後、一行は隣接する「コロニア沖縄農牧総合協同組合(CAICO)」を訪れ、工場長の親川ウーゴさん(47)から説明を受けた。  焼畑による陸稲、トウモロコシ栽培から始まった移住地の農業。第一移住地が満植になった後は、59年から第二、62年から第三移住地へ入植。全体の面積は約5万ヘ ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《2》=もう一つのオキナワへ=移民襲った「うるま病」

ニッケイ新聞 2010年10月21日付け  2日目に訪れたオキナワ移住地は1998年に政府から行政区として制定された、日本国外で唯一「オキナワ」の名を冠した自治体だ。第一から第三まであり、全体をあわせると沖縄本島の面積ほどになるという。  今回の旅には、沖縄出身の一世や二世など18人が参加。同県出身でJICAシニアボランティアと ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《1》=最大都市サンタクルスへ=サンフアン、オキナワを訪問

ニッケイ新聞 2010年10月20日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)による「第34回移民のふるさと巡り」が7日から12日まで実施された。国内各地の日系人ゆかりの地を巡る同旅行。今回は国境を越え、隣国ボリビアを初めて訪問した。ブラジルより早く、昨年日本人移住110周年を祝ったボリビア日系社会。しかしその大半は ...

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日本語教育リレーエッセイ=第1回=遺産=元ドウラードスモデル校=平田清美

ニッケイ新聞 2010年10月16日付け  「JICA派遣生徒本邦研修がなくなるかもしれない」との噂を聞いた時、寂しさと共に自分の無力さを実感しました。もちろん、現段階ではあくまで噂であり、そうなって欲しくないという意味で、私なりの意見を書いてみたいと思います。  子供の頃は日本語なんてどうでもいいと思ったことのある私が、日本語 ...

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日本の俳優が臣道聯盟の映画に=連載《下》=「パンドラの箱開ける」

ニッケイ新聞 2010年10月2日付け  総予算は800万レアル、監督が非日系で、セリフの7割が日本語という異色のブラジル大作映画『コラソンエス・スージョス(国賊)』の主人公は、カメラマンのタカハシだ。演じるのは映画『硫黄島からの手紙』で西竹一(にし・たけいち)中佐を演じた伊原剛志(いはら・つよし)。映画はもちろんテレビドラマに ...

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