世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方
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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=最終回=百周年で顕彰されたルイス=平田家に流れる信念の血
ニッケイ新聞 2011年10月22日付け 08年6月22日、パラナ州ローランジャ市の日本移民百周式典で、ロベルト・レキオン州知事が熱のこもった演説の最後の最後で、なんども名前を挙げて感謝した日系人が
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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第5回=娘が学生運動で監獄に=州知事に直談判し亡命?
ニッケイ新聞 2011年10月21日付け 美津子は、「私は父の仕事の関係であちこち転勤ばかりして苦労したので、絶対に外交官とは結婚しないと決めていました。それなのに、政治家という最も家に寄り付かない
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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第4回=カトリックが結ぶ愛=400年経て結実するもの
ニッケイ新聞 2011年10月20日付け 福岡県大刀洗町で、長女ヘレナと長男久幸(ひさゆき)の二子が生まれた。戦後、外務省から父ら3人に戻らないかと声がかかったが、父の兄は戦争中に亡くなり、父の弟だ
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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第3回=「移民の子と結婚するのか」=家族の反対押し切って
ニッケイ新聞 2011年10月19日付け 美津子は当時のNHK内で平田進と知り合ったいきさつを、こう説明する。「アメリカ二世が大勢いて、みんなとは英語で話していましたが、彼らは日本語はしゃべれても読
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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第2回=大東亜省で大臣秘書に=「東京ローズ」と働く
ニッケイ新聞 2011年10月18日付け 1940年7月に成立した第2次近衛内閣で外務大臣に就任した松岡洋右は、強烈なリーダーシップをみせ、それまで官僚主導だった外交を転換させるべく、重光葵(駐英大
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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第1回=英語で教育された才女=父と兄弟3人は外交官
ニッケイ新聞 2011年10月15日付け 「コスモポリタン(世界市民)そのものの移民女性の生涯を書いてみたいと思いました」。ブラジル日本移民史料館9階で9月15日夜に行なわれたポ語人物評伝『Ceci