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第5回世界のウチナーンチュ大会=子孫と沖縄結ぶ「万国津梁」=母県と県人会の関係探る

 母県と県人子孫の心の絆とは何なのか。それはいつまで継承されるものなのか――どんな県人会にとっても重要なこの問いに答える壮大な取り組みが、いま沖縄で行なわれている。5年に一度の「世界のウチナーンチュ(沖縄県人)大会」に参加するためにブラジルから1千人以上が馳せ参じたこと自体凄いことだが、ただ単にその現象を報じるのではなく、「なぜそんな来ているのか」について分析・推論を連載にした。一体、沖縄県民とその海外子孫に何が起きているのか。琉球大学の招待で大会に参加した機会を利用し、各国の日系社会の状況とそこにおける沖縄系社会の様子に加え、どの県や県人会にとっても役立つ活性化のヒントが含まれていないかを探る。沖縄をたたき台に、母県と県人子孫が一体となって取り組んでいるルーツ意識の掘り起こしについて取材してみた。(深沢正雪記者)

最終回=100年後に価値が出る=各県人会で取り組みを

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  祖先シンポの中で、ブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長も、当地独自の取り組みを熱く講演した。位牌をどうするかは子孫にとって重要な問題と考え、長男が受け継ぐ伝統が揺らいでいる現実をかんがみ、沖縄文化センターに集めて保存し、共同供養する計画が進められている件を発表した。  「位牌だけでなく、 ...

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第21回=国境を超える芸能の力=民族的〝武器〟としての歌

ニッケイ新聞 2011年12月24日付け  西銘知事がアトランタの県人から歓迎され、一緒にカチャーシーを踊り、芸能という〃儀式〃を通して喜びを共有することから大会が始まったことを第17回で説明した。このように沖縄では芸能が日常生活に生きており、時代に合わせて姿を変えて生き残っている。  第1回大会以外すべて見てきた駒澤大学の白水 ...

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第20回=二つの顔が盛衰する歴史=文芸復興運動に集約か

ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  沖縄県人は「琉球ナショナリズム」という〃龍〃を心の中に抱えている。それが対日本政府であれ、対米国占領軍であれ、沖縄を支配する覇権に対して抵抗するときに、これが高まるようだ。  例えば、米軍基地反対運動が盛り上がったときに琉球ナショナリズムが高まって「琉球派」が台頭して「独立論」が頭をも ...

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第19回=「沖縄」と「琉球」の違い=歴史的な二重構造とは

ニッケイ新聞 2011年12月22日付け  大会のあるシンポで北米子孫が、「私は〃沖縄〃というヤマト(本土)がつけた呼び名は好かない。伝統的なウチナーという呼称を使いたい」と発言したのを聞き考え込んだ。別の海外子孫は「最近の若者はウチナーグチもしゃべれないし、沖縄ソバの味も昔とは変わってしまった。もっと伝統文化を大切にして欲しい ...

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第18回=失業した若者を海外へ=100億円基金で多言語人育成

ニッケイ新聞 2011年12月21日付け  「全国テストの沖縄の結果は全国最低、若年失業者は全国最高。笑えない数字です。我々はこの状況を移民の先人に学び、逆転の発想で乗り越えなくてはならない。若者を海外に出すことで救う、万国津梁人〃財〃という考え方で短期交換留学をしたらどうでしょうか」。  10月15日、宜野湾市・沖縄コンベンシ ...

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第17回 =挙県体制とメディア連携=大会誕生の経緯を探る

ニッケイ新聞 2011年12月20日付け  大会誕生の内幕には諸説あるが、84年から琉球新報が世界のウチナーンチュを紹介する500回もの長大な連載をしたのが契機だったようだ。  さらに沖縄テレビでは前原信一(まえはら・しんいち)さんがディレクターを務めて「沖縄発われら地球人」「世界ウチナーンチュ紀行」など210本にわたるシリーズ ...

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第16回=ペリー来航が歴史の分岐点=琉球独立図った米国政府

ニッケイ新聞 2011年12月17日付け  沖縄県の近代史をめくると、その最初には「ペリー来航」が記されているが、実は、本土の歴史とは少々違う。  通常は1854年に7隻の軍艦を引き連れて横浜沖に迫り、3月に日米和親条約を調印したことはよく知られている。ところが、その直ぐ後、その船団は那覇に寄港して7月に、琉球王国とも「琉米修好 ...

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第15回=逆遠隔地ナショナリズム=海外に学べとの掛け声

ニッケイ新聞 2011年12月16日付け  前節で見てきたように沖縄県では方々で「海外には〃明治の沖縄〃が残っている」との言葉を聞いた。海外県系人がウチナー意識を継承している姿をみて、母県側の市民は自らのあるべき姿を再確認しているようだ。郷土愛ともいえるし、ナショナリズム傾向、エスニック志向のような方向性も内包しているようだ。 ...

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第14回=母県が失った何か南米に=〝明治の沖縄〟と肝心

ニッケイ新聞 2011年12月15日付け  父が臣道聯盟員だった保久原淳次さん、父が勝ち組だった玉木さんは、親を通して〃明治の沖縄〃を引き継いでいる。二人に共通するのは、国や郷土を愛する想いが親に強かったことだ。沖縄ブラジルの絆の土台には、このような切ない志の積み重ねがあった。   ☆     那覇市内の沖縄青年会館で10月15 ...

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第13回=ご真影踏まず〃島送り〃=故郷でやり直した戦勝帰国者

ニッケイ新聞 2011年12月14日付け  「日本が勝っていると信じて、父は終戦後の1954年、20歳だった私を連れて沖縄に帰ってきました」。那覇市内の青年会館で10月15日晩、ブラジル沖縄協会と沖縄産業開発青年隊が共催したブラジル県人会役員歓迎懇親会の場で、玉木良子さん(たまき・よしこ、78、二世)=那覇在住=は、初対面の記者 ...

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