第5回世界のウチナーンチュ大会=子孫と沖縄結ぶ「万国津梁」=母県と県人会の関係探る
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第12回=明治の精神を持つ県系人=ルーツ意識深める二世ら
ニッケイ新聞 2011年12月13日付け 「ここはお国を何万里、はなれて遠きブラジルの、赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下」。そんな「戦友」の替え歌が戦前移民の間ではよく歌われていた。夢に見る故
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第11回=沖縄方言で胸を張る=ルーツ目覚めるブラジル二世
ニッケイ新聞 2011年12月10日付け ブラジル最大手エスタード紙の論説委員、保久原ジョルジ淳次さん(65、二世)は息子を連れて世界のウチナーンチュ大会に初参加した。 彼は今年の講演会で「4年前
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第10回=特異なブラジル県人会=戦後移民の多さが特徴
ニッケイ新聞 2011年12月9日付け ブラジル日本都道府県人会連合会には、おそらく世界で唯一、47県全てが揃っている。米国にも多くの県人会があるが、地域ごとに活動しており、全国規模でまとまった連合
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第9回=南米各国で存在感示す=沖縄県系が約7割は普通
ニッケイ新聞 2011年12月8日付け 「ぺルーの日系団体で一番大きいのは沖縄県人会、でも全体を統括しているのはペルー日系人協会です」。首都リマで旅行社を経営する玉城ルイスさん(76、二世)は、そう
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第8回=ニューカレドニア=敗戦で出自を封印した子孫=「沖縄の家」で活性化へ
ニッケイ新聞 2011年12月7日付け 移民史研究家の津田睦美さんはNC県人会の誕生を記述する一文をこう締めくくる。 《日本人の血をひくということだけで差別の対象になった時代、日本人の父親に対する
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第7回=120年経て覚醒する子孫意識=初訪沖のNカレドニア勢
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け 世界のウチナーンチュ大会の開会式会場には不思議な集団が座っていた。沖縄県系人というよりは、普通の白人の一群だ。 「誰だろう」と疑問を感じて声をかけると、初参
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第6回=亜国=終戦5カ月前まで日語報道=最終ニュース「慶良間侵攻」
ニッケイ新聞 2011年12月2日付け 亜国からは今回、最多の200人が参加した。大会取材3回目の『らぷらた報知』編集の崎原朝一さん(77、沖縄)は、「僕自身もう今回が最期かもしれないと思っている。
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第5回=米国=「今も新来者が絶えない」=進駐軍と結婚多い戦後女性
ニッケイ新聞 2011年12月1日付け ブラジルでは1970年代前半以降、ほぼ新来者は途絶えたが、ハワイではまだ続いている。 ハワイには1924年までに20万人もが渡ったが、戦後もアメリカ人との婚
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第4回=移民が支えた母県経済=海外送金が県歳入の6割
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 第1回ハワイ移民団27人をのせて1899(明治32)年12月5日に那覇港を出港した薩摩丸は、1900年1月8日にホノルルに到着した。これを結成したのが〃沖縄
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第3回=記念撮影という〃儀式〃=移民の家系図は世界的資料
ニッケイ新聞 2011年11月29日付け 「なぜ人は記念写真を撮るという〃儀式〃をするのでしょうか?」 10月15日朝、沖縄県立博物館で第1回国際ウチナーンチュ祖先シンポジウムの開会あいさつをした