ニッケイ新聞 2012年4月12日付け 「縁がないだろう」。記者時代サンパウロ市に住んでいたとき、そう思っていた土地の筆頭がリオ・グランデ・ド・ノルテ州であった。振り返れば当時、間接的だが、同州と接触したことがある。 サンパウロ市郊外でありながら北東地方の料理やフォホーが楽しめる施設内の屋台で「リオ・グランデ・ド・ノルテ州の ...
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〜OBからの一筆啓上〜邦字紙の似顔絵あれこれ=田中慎二(元パウリスタ新聞記者)
ニッケイ新聞 2012年3月28日付け 最近、ある事柄をしらべるため、昔の資料に目をとおしていると、いろいろと思わぬ面に興味をひかれ、本筋から横道にそれることがしばしばある。 私が最初に会ったコロニアの画家は、パウリスタ新聞社に入社してまもなく、木村編集長を訪ねてこられた半田知雄画伯。紹介されてから、もう半世紀にもなる。 ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜テレビ三昧=吉田尚則(パウリスタ、ニッケイ新聞元記者)
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 退職後、近郊に終の陋居を構えてからは日々漫然と過ごし、テレビばかり見ている。それも、もっぱらNHK観賞である。 家内にはとうに呆れられながら、ふと思った。日本にテレビ時代が到来した半世紀も前、評論家の大宅壮一はテレビ漬けの国民を前に「一億総白痴化」と嘆いたが、「オレも白痴化久しいな」と ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜継承日本語、グァタパラにて=神田大民(元パ、日毎、ニッケイ新聞記者)
ニッケイ新聞 2012年2月29日付け グァタパラ移住地の入り口に「グァタパラ移住地にようこそ」と日本語で目立つように大書された小塔が立っている。日本人の訪問者はこれを見て、まずほっとするのではないか。 開設後ほぼ半世紀を経た同移住地、毎年欠かさず入植祭を催し、存在感をアピールしている。祭りの意思伝達の軸は日本語である。 ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜移民船と花嫁移民=田中敬吾(元パウリスタ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年10月26日付け 1960、70年代、邦字紙記者は月に1、2度、入港する大阪商船やオランダ汽船の取材のため、サントスに下ることがあった。 大阪商船では航海士か船長に、オランダ汽船では新移民の上陸に懇切な世話を焼いていた中野さん(愛称・船長サン)に、船内の生活やエピソードを聞いたものだ。下船した新移民に ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜先人の残した〃栞〃=古杉征己(元ニッケイ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年10月12日付け 渡伯11年。ニッケイ新聞記者をスタートに、これまでいくつかの職場を渡り歩き、また、2年間サンパウロ市内の大学に通ってブラジル労働法を研究するなどした。 邦字紙記者を辞めた後も、サンパウロ人文科学研究所の活動に参加して移民史を学んでいるので、日系社会と関わりを持って生活しているのは今も ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜邦字紙の使命と安定した存続=六角昌文(元日伯毎日新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年9月14日付け 若者は将来の夢や希望に胸を膨らませ、老人は過去の自分に思いを馳せて生きるもののようだが、自分も寄る年波には抗し切れず老境に入ったのもあって、過去の思いに耽ることが多い。 それは確か53年も前の話になるが、サンパウロで豊かな生活を謳歌していった大阪西高の級友N君の近親Y氏が訪日し、大法螺 ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜=人生変えたブラジルサッカー=沢田啓明(元パウリスタ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年8月24日付け 私がニッケイ新聞の前身・パウリスタ新聞に籍を置いたのは、87年初めから88年末までの2年間。 社会部記者として在サンパウロ日本総領事館、ブラジル日本商工会議所、文協、援協、県連などを取材し、ウンウン唸りながら記事を書いた。拙いと自覚していたが、自分が書いた文章が活字になるのは嬉しかった ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜パウリスタ新聞の思い出=田中慎二(元パウリスタ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年8月10日付け 私がパウリスタ新聞に入社したのは1960年9月。当時の編集長は木村義臣さんで、社会部のデスクが藤田普一郎さん。 田村幸重、平田進、野村丈吾といった日系議員の活躍が紙面を飾り、その年末のタイム誌に「マベ黄金の年」という1ページの紹介記事がでるなど、画家の間部学さんが世界のマベとして飛躍し ...
続きを読む »〜OBからの一筆啓上〜〃待ち遠しい〃死亡記事=小林大祐(元ニッケイ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年7月27日付け 7月13日早朝、旅客機が落ちた。もしかすると、1年前だったかもしれない。レシフェ発ナタル経由モソロ行。16人が死亡した。その中のひとりが自分であったかもしれない。 私は昨年モソロに住んでいた。当時も空港はあったが休眠状態だった。車で5時間を要する州都ナタルを訪ねる機会が結構あり、両市を ...
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