ホーム | 連載 | 2011年 | ~OBからの一筆啓上~ (ページ 2)

~OBからの一筆啓上~

 本紙の前身であるパウリスタ、日伯毎日両新聞で健筆を揮った元記者らによるニッケイ新聞OB会(田村吾郎会長)が今年2月に結成されたことは本紙でも紹介した。 活動内容を練るなかで―やはり昔取った杵柄―リレーエッセイ『OBからの一筆啓上』がスタートする運びとなった。 広辞苑によれば、一筆啓上とは「筆を執って書いて申し上げる」の意。 読者、編集部、日本、もしくは廃刊後の本紙をめくる将来の読者―誰に物申すのかは各々にお任せするとして、長年コロニアを見つめてきた歴戦のブン屋たちが、何を題材にどう切り取るかを読者とともに楽しみたい。 鳴き声が「イッピツケイジョウツカマツリソウロウ」と聞こえることから、一筆啓上は「ホオジロ」を指すことも。 様々な音色のさえずりを期待するとともに、髪の白くなった先輩方の心意気に感謝の意を表したい。 隔週水曜日に掲載します。(編集部)

〜OBからの一筆啓上〜邦字紙報道と読者=吉田尚則(元パウリスタ・元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年7月13日付け  コロニア記事の書き手から読み手に立場を変えて、もう7年が過ぎた。  辞めた当初こそ、新聞社の厳しい財政状況が骨身にしみていたので、ミスの多さや突っ込みの足りない記事にも「年中記者不足、取材費不足だからなぁ」と、へんに理解心を示していた。  しかし時が経るにしたがってフツーの読者と化し、紙 ...

続きを読む »

〜OBからの一筆啓上〜書くことの視界と視野=高橋幸春(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年6月29日付け  36年にもなる。私が初めてブラジルの土を踏んでから。  将来教壇に立つ気はないかと、大学院に残るように言ってくれた教授もいた。差別問題を研究している教授について、卒論には日韓に横たわる問題を選んだ。しかし私はパウリスタ新聞の記者になる道を選択した。  日韓の歴史に興味を持ち、学生時代に韓 ...

続きを読む »

〜OBからの一筆啓上〜怒りをもって立ち上がれ=田中敬吾(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年6月15日付け  今回の東日本大地震では、多くの人命が犠牲となり、心から哀悼の言葉を述べたい。  地震、大津波に加えて東電の福島原発の原子炉破壊に伴う避難者や、農家、酪農家に大きな犠牲者を多数出したことは、不幸に大きな拍車をかけた。  日本は今こそ国運をかけての復興へ、国民が一体となった団結と情熱、努力が ...

続きを読む »

〜OBからの一筆啓上〜戦時下の邦字記者=田中慎二(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年6月1日付け  最近のニッケイ紙に掲載された、勝ち負け抗争で野村忠三郎殺害時に蒸野太郎が腹に巻いていた日の丸が、脇山甚作の襲撃犯・日高徳一から移民史料館に寄贈された記事が話題になった。  さらに同紙に連載された『アンドウ・ゼンパチ—清貧に生きた波乱万丈のインテリ』でも、連載二十回目の「激化する勝ち負け抗争 ...

続きを読む »

〜OBからの一筆啓上〜地震病になって思うこと=太田恒夫(元パウリスタ新聞記者、東京在住)

ニッケイ新聞 2011年5月19日付け  東日本を襲った地震と津波による災害のひどさはブラジルでもテレビやインターネットを通して多くの人が見、聞き知ったはずである。  日本でも同じこと、我々一般市民は現場を見ているわけではない。情報はすべて媒体を通して視聴者や読者に伝わる。ただ、日本では情報の媒体はNHKだけではない。  民放も ...

続きを読む »

〜OBからの一筆啓上〜汚いルア=神田大民(元パ、日毎、ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年5月4日付け  サンパウロ市内で最も汚いルアの一つ、ガルボン・ブエノ街。特に文協ビル脇は生ゴミが散乱、饐えた悪臭ふんぷん、通る人たちは顔をそむける。名所の赤鳥居の辺りにもゴミ袋が捨てられている。いくつかの年中行事がブラジル人の間にも知られて、週末の散策客、買い物客も近年増える一途だ。東洋街の名で知名度が高 ...

続きを読む »

〜OBからの一筆啓上〜婿さん募集広告=水野昌之(元パウリスタ、日伯毎日新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年4月20日付け  60余年ほど前、邦字新聞が復刊して間もないころの話。新聞の広告欄に見落としてしまいそうな小さな広告が載っていた。  「求む、婿、委細は本紙営業部、有馬まで」と書かれていた。当時私は、ある邦字紙の社会部記者をしていた。恰好なネタであると、早速、広告の有馬氏を訪ねた。彼は、幸いにも私が他社の ...

続きを読む »