ニッケイ新聞 2011年4月2日付け はじめに東北関東大震災の犠牲者に対し、心からの哀悼の意を表したいと思います。そしてまた、全被災地に対しお見舞申し上げます。 このたびの、観測史上最大の地震そして大津波により壊滅的被害を受けた岩手、宮城、福島の各都市。2週間が過ぎた今なお、避難所の不自由な環境での生活、さらには先行きの見え ...
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東日本大震災支援キャンペーン=がんばろう!=ニッポン〜日系社会は応援する=サンパウロ市 榎原良一
ニッケイ新聞 2011年3月26日付け 今回の東日本大震災に付きましては、被災地宮城県、岩手県、福島県の皆様を始めとする日本国民の皆様、母県が被災地となりましたこれらブラジル県人会の皆様、そして、日本各地で就労されているブラジル日系人の皆様には、心からお見舞い申し上げます。又、今回大震災で亡くなられました犠牲者の皆様のご冥福を ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《10・終》=日の丸に託された想い=〃戦時下〃だったあの頃
ニッケイ新聞 2011年2月19日付け 百年祭は誰にとっても特別な瞬間だった——。夢にまで見た皇太子殿下のお姿をまじかに見た後、蒸野太郎(享年90)は09年8月、山下博美(享年86)は10年10月に相次いで冥界に旅立ち、日高は実行者唯一の証言者となった。 蒸野の葬儀に出席した日高は「〃最後の日本人〃だった」と感じ、胸の奥に大 ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《9》=憑き物が落ちた瞬間=百年祭で皇太子殿下迎え
ニッケイ新聞 2011年2月18日付け 蒸野太郎は46年4月の野村忠三郎事件後、サントアマーロ方面に徒歩で逃げ、道なき道を彷徨った。まるで彼が辿ることになる後の人生を暗示するかのような辛い逃避行であったという。 偶然行き着いた日本人農家が同じキンターナ出身者で、顔を見るなり「太郎か」と言い、二言目には「よくやった!」と匿って ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《8》=〃狂信者〃と言われて=ようやく来た雪解けの季節
ニッケイ新聞 2011年2月16日付け 日高徳一は大義名分を大事にする。「僕等はなにも勝った負けたのためにやったんじゃない。あくまで日本国家と皇室の尊厳のために立ち上がったんです。脇山大佐には申し訳ないが、彼個人になんら恨みがあったわけではない」。大義名分は立場によって異なるし、それがあれば何をやっても許されるわけではない。だ ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《7》=〃急変〃した戦前の指導者=どの立場で暗殺されたか
ニッケイ新聞 2011年2月15日付け 不思議なもので暗殺されたのは同じでも、どの立場で殺されたかによって事件としての意味が異なってくる。また1946年3月からの一連の勝ち負けテロ事件で狙われた人々は「負けた」と言ったから狙われたのではなく、「戦前は自分たちの指導者だと思っていたのに変節した」と思われて狙われたという部分が強い ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《6》=環太平洋を股にかけ=波乱万丈な父の生涯
ニッケイ新聞 2011年2月12日付け 日高徳一の祖父・末五良(すえごろう)は宮崎県の旧薩摩藩に属す地域の出身で1877(明治10)年に起きた西南の役の時、「〃一蔵(いちぞう、大久保利通の前名)を懲らしめないといかん〃と言って、見たことも声を聞いたこともない西郷どんのために出兵しました。貧乏士族、いや足軽だったと聞いている」と ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者脇山パウロが語るあの日=《5》=「また来る春がないじゃない」=『高原の花』に込めた想い
ニッケイ新聞 2011年2月10日付け なにげない一日の終わりのはずだった46年6月2日午後7時、突如〃運命の夜〃が訪れた。 4人は応接間に通され、着物姿の脇山元大佐に対面して椅子に座った。客用の椅子は3脚しかなかったので、姉がもう1脚を持っていくと、ドア近くに一人だけ立っていた男が不要とばかりにそれを蹴飛ばしたのを見て、不 ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者脇山パウロが語るあの日=《4》=ジャズ愛した大佐の息子=脇山家に訪れた運命の夜
ニッケイ新聞 2011年2月9日付け 運命の日——1946年6月2日午後7時ごろ、まだ9歳だった脇山パウロさんは4歳年上のお姉さんと一緒にお客さんだと思って、玄関の戸を開けた。張り詰めた空気をまとった青年4人が祖父を訪ねてきていた。 ◎ ◎ 「父(脇山一郎)が音楽や仕事で忙しかったから、お爺さんと過ごす時間が多かっ ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《3》=「臣聯=特行隊ではない」=勝ち組潰しで誤解広めた?!
ニッケイ新聞 2011年2月8日付け 日高徳一は1946年4月1日の元駐亜国大使・古谷重綱襲撃にも参加し、未遂に終わっている。同時に実行された野村忠三郎・元文教普及会事務長殺害事件の影響で、翌2日に臣道聯盟関係者1200人もの大検挙に事態は発展した。フェイラでよく使われているカーキ色のカッパを襲撃時に着ていたことから、「同じカ ...
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