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2011年

エクアドル=移ろうキト日本人学校=(上)=生徒8人…もれるため息

ニッケイ新聞 2011年10月27日付け  【エクアドル発=秋山郁美通信員】赤道直下にあるミタ・デル・ムンド(赤道記念公園)——そこから南5キロにある旧キト日本人学校の校舎からは、毎土曜の朝、のどかなラジオ体操の音楽が聞こえる。エクアドルの首都キトにある日本語補習校(根上宏校長)の生徒、親、講師が揃って運動をしている音だ。世界経 ...

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〜OBからの一筆啓上〜移民船と花嫁移民=田中敬吾(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年10月26日付け  1960、70年代、邦字紙記者は月に1、2度、入港する大阪商船やオランダ汽船の取材のため、サントスに下ることがあった。  大阪商船では航海士か船長に、オランダ汽船では新移民の上陸に懇切な世話を焼いていた中野さん(愛称・船長サン)に、船内の生活やエピソードを聞いたものだ。下船した新移民に ...

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マットグロッソ七夕祭り=(下)=地元コロニアが連携=「これからも継続して」=元上議 柳井ジョルジ氏も姿みせ

 「七夕祭りの開催は、ずっと前からの念願でした。ようやく実現して大満足」——。と満面の笑みを浮かべるのは、同地日本人会元会長で実行委員長の尾崎堯氏(76、秋田)だ。  マットグロッソ野球ソフトボール連盟の伊澤祐二会長(40、二世)、小林セルジオ副会長(51、二世)、クイアバ市に隣接するバルゼア・グランデ日伯協会の野内儀夫会長(4 ...

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マットグロッソ七夕祭り=(上)=大成功! 約3万人が来場=州主催、総領事館後援で=バルボーザ知事「継続して実施を」

 「O Japao esta mais Chapa e Cruz do que nunca(日本もクイアバ市民の仲間入り)」—。マットグロッソ州クイアバ市のサントス・ドゥモン広場で9月30〜10月2日の夜、『第一回七夕祭り』(Festival do Japao Tanabata Matsuri)が開催された。冒頭のスローガンが桜 ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=最終回=百周年で顕彰されたルイス=平田家に流れる信念の血

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  08年6月22日、パラナ州ローランジャ市の日本移民百周式典で、ロベルト・レキオン州知事が熱のこもった演説の最後の最後で、なんども名前を挙げて感謝した日系人がいる。  「彼は勇気ある、意義深い、英雄的な日本移民子孫であり、国の近代史において根本的な役割を演じた。軍事政権へのレジスタンス( ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第5回=娘が学生運動で監獄に=州知事に直談判し亡命?

ニッケイ新聞 2011年10月21日付け  美津子は、「私は父の仕事の関係であちこち転勤ばかりして苦労したので、絶対に外交官とは結婚しないと決めていました。それなのに、政治家という最も家に寄り付かない人と結婚してしまった」と笑う。  「毎日朝早くうちを出て、子供が寝てから帰宅でしょ。子供とは日曜日の午前中しか会えないのよ。この時 ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第4回=カトリックが結ぶ愛=400年経て結実するもの

ニッケイ新聞 2011年10月20日付け  福岡県大刀洗町で、長女ヘレナと長男久幸(ひさゆき)の二子が生まれた。戦後、外務省から父ら3人に戻らないかと声がかかったが、父の兄は戦争中に亡くなり、父の弟だけが復帰し、オランダ大使を最後に退任した。  1951年、まず平田がブラジルに戻った。「先に自分が帰って、仕事を見つける。それから ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第3回=「移民の子と結婚するのか」=家族の反対押し切って

ニッケイ新聞 2011年10月19日付け  美津子は当時のNHK内で平田進と知り合ったいきさつを、こう説明する。「アメリカ二世が大勢いて、みんなとは英語で話していましたが、彼らは日本語はしゃべれても読み書きは苦手だった。その点、平田は完璧にできた。しかも、お互いにカトリックだった。家族の中でもカトリックは私一人だったので、いろい ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第2回=大東亜省で大臣秘書に=「東京ローズ」と働く

ニッケイ新聞 2011年10月18日付け  1940年7月に成立した第2次近衛内閣で外務大臣に就任した松岡洋右は、強烈なリーダーシップをみせ、それまで官僚主導だった外交を転換させるべく、重光葵(駐英大使)以外の主要な在外外交官40数人を更迭し、代議士や軍人などを代わりに送り込む「松岡人事」を実行した。この時に父・岡本久吉、テヘラ ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第1回=英語で教育された才女=父と兄弟3人は外交官

ニッケイ新聞 2011年10月15日付け  「コスモポリタン(世界市民)そのものの移民女性の生涯を書いてみたいと思いました」。ブラジル日本移民史料館9階で9月15日夜に行なわれたポ語人物評伝『Cecilia Hirata』(editora Terceiro Nome刊、10年)の日系社会向け刊行記念パーティで、著者の優美(ゆみ) ...

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