ニッケイ新聞 2011年9月9日付け 「百人いれば百通りの移民史がある」。イグアス移住地の多様性をそう説明するのは、園田八郎さん(やつろう、61、鹿児島)だ。ブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲会長の実弟に当り、移住地で大豆栽培をするほか、ペンソン園田も経営しており、南米を放浪するバックパッカーの定宿として有名だ。 八郎 ...
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イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第6回=「子や孫の代まで土守る」=原始林を再現する栽培法
ニッケイ新聞 2011年9月7日付け 「不耕起栽培を以前に試験した人たちは、50%の減収、あるいは雑草による収穫不能な状態になった人もいるし、今はみんな辞めているので小面積で試験するように」との忠告をピラポ移住地の人たちからも受けたという。 それでも深見明伸さんの決心は変らなかった。「多少収量が減っても、土壌保全を優先すべき ...
続きを読む »イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第5回=不耕起栽培と除草剤工夫=農協立て直す〃中興の祖〃
ニッケイ新聞 2011年9月6日付け 元気の良い移住地の歴史を見ると共通点がある。〃中興の祖〃が生まれることだ。例えばアマゾンのトメアスー移住地では、組合が破局直前の難局にぶつかる度に若者が立ち上がって打開し、現在の森林農法を生み出した。 いうまでもなく移住地にとって農業は生命線だ。いくら肥沃なテーラ・ロッシャでも、基幹作物 ...
続きを読む »イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第4回=網走発「温い所へ行きたい」=冬がない二毛作の地へ
ニッケイ新聞 2011年9月3日付け 「ばあちゃんが『温(ぬく)いところに行きたい』って、パラグアイ行きを決めたんです」。北海道網走出身の小矢沢和一さん(こやざわ・かずいち、77)はいう。1957年12月に「ぶらじる丸」で渡航し、サンタロッサ移住地に28年間暮らした。そこでは最後まで電気のない生活で、石や湿地ばかりの土地に見切 ...
続きを読む »イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第3回=「南米に理想郷作る」=弓場農場のパ国版構想も
ニッケイ新聞 2011年9月2日付け 弓場勇の影響を受けてパラグアイに理想郷を作ろうと、家族を挙げて移住した伊藤勇雄(いさお)さんを家長とする一族11人もここイグアス移住地に入った。 その様子はNHKドキュメンタリー『乗船名簿AR—29』から10年ごと放送された『移住10年目の乗船名簿』『移住20年目の乗船名簿』『移住31年 ...
続きを読む »イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第2回=「最低10年我慢すべし」=4世代同居の第1陣家族
ニッケイ新聞 2011年9月1日付け イグアス移住地はスペイン語ではDistorito Yguazu(イグアス市)といい、パラグアイ国アウトパラナ県22市のうちの一つだ。ブラジル側の国境の町フォス・ド・イグアスからポンチ・デ・アミザーデを渡って、首都アスンシオンに向かう国道7号の34〜64キロ区間の両側に広がる。市街地は41キ ...
続きを読む »イグアス移住地50周年=パラグアイの若い息吹=第1回=ブラジルから変った矛先=「ここは大森林だった」
ニッケイ新聞 2011年8月31日付け 創立50周年を迎えたばかりの若いイグアス移住地は、パラグアイへの殖民事業の最後発にして、最大規模のものだ。いまも活気ある農業組合があり、移住者の大半は農業で生計を立てている。そして20歳前後が中心の二世層はまるで日本の日本人のような言葉を使う。8万7千ヘクタールを誇る移住地はそのままイグ ...
続きを読む »旧都で育むニッポン~ペトロポリス「BUNKA-SAI」~(終)=ロマンス風「姥捨て山」?=ブラジル人中心の珍しい文化祭
日本の物語「姥捨て山」をもとに、非日系人が独自の脚本を書いて演じた芝居『Sabedoria dos Idosos(老人の知恵)』が14日午後6時から上演された。安見道子さんは、「老人を大切にというメッセージ。08年の日本祭りで上演して以来何度も公演していて、毎回満員になるほどの人気」と説明する。 脚本・演出のジョゼ・カルロス ...
続きを読む »旧都で育むニッポン~ペトロポリス「BUNKA-SAI」~(3)=生け花、漫画、陶芸に熱い眼差し=震災支援の浄財も集まる
午後からは、会場のラウル・デ・レオーニ文化センター内の展示を回った。開催期間中は盆栽、陶芸、こけしなどの各種展示のほか、様々なワークショップ、映画や演劇の上演が行われていた。 メインはやはり、今回の文化祭のテーマ「ガンバレ!日本」の一環、震災関連の展示だ。毎日新聞社提供の被災地の写真60枚に加え、日本の領事館を通じて外務省か ...
続きを読む »旧都で育むニッポン~ペトロポリス「BUNKA-SAI」~(2)=リオ日系団体も駆けつけ=市が全面協力、「連帯のお返し」
午前10時頃、リオ市郊外のバレンサ市から、太鼓とコーラスグループの一行が3時間半をかけてバスで到着。迎えた安見さんらが博物館内でカフェを振る舞った。 数年前に発足したバレンサ日伯協会は、約60人が所属、日系人に限らず日本に興味を持つ非日系人も。 開始時間が遅れそうになり、安見さんはやきもき。「もうすぐ始まりますので、早めに ...
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