2011年
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旧都で育むニッポン~ペトロポリス「BUNKA-SAI」~(1)=杉村公使ゆかりの土地で=日系人口わずか0・1%
【リオ州ペトロポリス市発=田中詩穂記者】「日伯交流発展のため、日本文化を市民に知ってもらいたい」—。8月6日から今週末まで、リオ州ペトロポリス市で『日本文化祭2011』が開催中されている。企画・立案し
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〜OBからの一筆啓上〜=人生変えたブラジルサッカー=沢田啓明(元パウリスタ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年8月24日付け 私がニッケイ新聞の前身・パウリスタ新聞に籍を置いたのは、87年初めから88年末までの2年間。 社会部記者として在サンパウロ日本総領事館、ブラジル日本商工会議
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第8回=華麗なる慶應義塾人脈=幻の第1回移民船土佐丸
ニッケイ新聞 2011年8月20日付け ブラジル移民史的にいえば、三越デパートの高橋義雄よりも武藤山治の方がはるかに近い存在だ。武藤は1928(昭和3)年に南米拓殖会社をつくり、鐘紡社長としてアマゾ
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第7回=国際的国粋志向のどこか=華麗なる慶應義塾人脈
ニッケイ新聞 2011年8月19日付け 大隈重信に爆弾テロを行った来島恒喜は、福岡藩士の息子として生れ、中江兆民に仏語を学び、玄洋社に参加した。来島は水野の1歳年下であり、同じような時代の空気を吸っ
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第6回=一生を貫く過激な性向=過激演説で再び投獄に
ニッケイ新聞 2011年8月18日付け 大隈重信襲撃事件といえば、日本史上有名なのは1889年に起きた右翼組織・玄洋社の一員だった来島恒喜(くるしま・つねき)による爆弾テロだ。 外国人判事を導入す
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第5回=大隈重信侯の爆殺謀る=近代史変える危険人物に?!
ニッケイ新聞 2011年8月16日付け 実は水野は慶應義塾に入る前、のちに世話になる後藤象二郎らとは対立する立場、1882年3月結成の立憲帝政党だ。与党支持側に組し、当初はこれを政界進出の踏み台にし
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第4回=後藤や福沢から強い影響=慶應で出会った「武良尻」
ニッケイ新聞 2011年8月13日付け 〃禁獄事件〃の後に東京へ出た水野龍は当初、郷里の先輩で宮内次官になっていた大橋眞三を頼った。だが兄の訃報に接し、いったん帰郷して家事を手伝い、その後、再上京し
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第3回=学び舎で勤王の志士に=吉田東洋暗殺関係者も学友?!
ニッケイ新聞 2011年8月12日付け 水野龍は江戸時代の1859(安政6)年11月11日、土佐藩主山内氏の家老・深尾氏一族の家臣・亀子(カメス)の次男として土佐国高岡郡佐川(さかわ)町で生まれた。
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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第1回=知られざる家族の逸話=息子「悪人だと思っていた」
ニッケイ新聞 2011年8月10日付け 「移民事業は失敗だったと落胆したまま親父は死んだんです。百周年でブラジル社会、日本社会からあのような賞賛が寄せられたことを、まず母親に伝えたかった」。〃ブラジ
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〜OBからの一筆啓上〜パウリスタ新聞の思い出=田中慎二(元パウリスタ新聞記者)
ニッケイ新聞 2011年8月10日付け 私がパウリスタ新聞に入社したのは1960年9月。当時の編集長は木村義臣さんで、社会部のデスクが藤田普一郎さん。 田村幸重、平田進、野村丈吾といった日系議員の