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2011年

〜OBからの一筆啓上〜〃待ち遠しい〃死亡記事=小林大祐(元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年7月27日付け  7月13日早朝、旅客機が落ちた。もしかすると、1年前だったかもしれない。レシフェ発ナタル経由モソロ行。16人が死亡した。その中のひとりが自分であったかもしれない。  私は昨年モソロに住んでいた。当時も空港はあったが休眠状態だった。車で5時間を要する州都ナタルを訪ねる機会が結構あり、両市を ...

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盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=現10代が150年祭の主役=「民族文化は州民の誇り」=最終回

ニッケイ新聞 2011年7月26日付け  民族芸能祭への参加団体で最も新しいのは、07年に創立した琉球国祭り太鼓クリチーバ支部だ。08年から民族芸能祭に参加し始めた。4回目となる今年は、サンパウロ市やブラジリアからも応援が駆けつけ、総勢50人の演技を舞台狭しと繰り広げた。  クリチーバ生まれの丸尾健爾代表(けんじ、26、三世)は ...

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盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=百周年で再活性化に道=若者の自主性尊重が鍵=第4回

ニッケイ新聞 2011年7月22日付け  ニプソンが創立した30年前は移民70周年の前後だ。この時代はコロニアが最も活気にあふれた頃であり、団体再編期でもあった。  クリチーバ日伯文化福祉協会の大島裕一元役員(ゆういち、58、熊本)によれば、33年ほど前に50人ぐらいの若い二世が「ニッケイ」という団体を作った。活動は盛んだったが ...

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盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=30年間続くニプソン=北パラナから来る人材=第3回

ニッケイ新聞 2011年7月21日付け  元をたどれば北パラナ——。州都クリチーバには50年前、日系人はわずかしかいなかった。大集団地である北パラナの子弟が州都に大学進学し、そのまま居残る循環が戦後生まれ徐々に増えていった。  公演後、大西健二さん(68、アサイ出身二世)は「琉球国祭り太鼓とYOSAKOIソーランが特に良かった。 ...

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盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=日本舞踊は後世への財産=150年祭の主役を今教育=第2回

ニッケイ新聞 2011年7月20日付け  昨年まで文協会長を6年間務めたクリチーバ出身の山脇譲二さん(69、三世)は半世紀前、すでにパラナ民族芸能祭の日本グループの司会をしていた。  「最初は南パラナ民謡保存会と福島県人会支部で公演をやった。最初の10年間ぐらいは北パラナのアサイやロンドリーナ、南パラナのカストロなどから助っ人に ...

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盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=パラナ州=台頭する若者の芸能集団=龍千多さん門下生中軸に=第1回

ニッケイ新聞 2011年7月19日付け  1961年に開始し、記念すべき節目の第50回を迎えた民族芸能祭は、盛り上がるクリチーバ日系社会を感じさせる公演となった。パラナ州都で各民族が夜ごとにそれぞれの芸能を披露しあってその質や観客数を競うこの芸能祭の日本グループ公演(クリチーバ文化福祉協会=石井ジョージ会長)が14日夜、グアイー ...

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特別寄稿=私のモラエス=「サウダーデ」を巡る移民側からの随想=中田みちよ=(下)

ニッケイ新聞 2011年7月15日付け  99年の講演会以来、ポルトガルは長い間、私の夢であった。2011年4月の末、とうとう、そのモラエスのポルトガルに行ってきた。いまも残されているという生家を訪ねるためである。  藤原正彦の『父の旅・私の旅』や『地球の歩き方(ポルトガル篇)』にはリスボンにはラルゴ・ダ・アヌンシアダ広場近くに ...

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特別寄稿=」私のモラエス=「サウダーデ」を巡る移民側からの随想=中田みちよ=(中)

ニッケイ新聞 2011年7月14日付け  「・・・(前略)この通り(作者註・伊賀町)は、この町の一方の端から他方の端へと走って内陸部から市街地を区切る天然の境界をなしている小山のすぐ近くにあり、この小山のすそを巡っている徳島は、実際、時をへて黒ずんだ木と黒い屋根瓦でできた家がごちゃごちゃと帯のように細長く立ち並ぶ、山と平地の間に ...

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〜OBからの一筆啓上〜邦字紙報道と読者=吉田尚則(元パウリスタ・元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年7月13日付け  コロニア記事の書き手から読み手に立場を変えて、もう7年が過ぎた。  辞めた当初こそ、新聞社の厳しい財政状況が骨身にしみていたので、ミスの多さや突っ込みの足りない記事にも「年中記者不足、取材費不足だからなぁ」と、へんに理解心を示していた。  しかし時が経るにしたがってフツーの読者と化し、紙 ...

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特別寄稿=私のモラエス=「サウダーデ」を巡る移民側からの随想=中田みちよ=(上)

ニッケイ新聞 2011年7月13日付け  1899年から14年間、神戸の在日ポルトガル領事館の総領事などを務めたヴェンセスラウ・デ・モラエス(リスボン生れ、1854—1929年)は軍人、文筆家としても知られる。著書には『おヨネとコハル』『日本精神』『徳島日記』などがあり、芸者おヨネと共に暮らし、彼女の死後は職を辞して、ヨネの故郷 ...

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