ニッケイ新聞 2012年4月6日付け ■邦字紙が続くことの意味 【深沢】=まったく違う東洋文明から来た日本移民と、同じ西洋文明であるイタリアから来た移民というのは、かなり適応への難易度が違かったんじゃないかと。 【岸和田】=違うでしょうね。イタリアは、言葉だってあまり変わらないわけですから。そうですね、ポルトガル語の相手に向かっ ...
続きを読む »座談会=ブラジル文化形成を語ろう=旧宗主国と外国移民の役割
第11回=歴史的に深いつながりあるアフリカ
ニッケイ新聞 2012年4月5日付け 【岸和田】=だからアンゴラとブラジルの関係ってのは経済的にもそうだけど、強かったのは特に17〜8世紀。 【深沢】=日本でいえば江戸時代ですか、関係は古いですね。アンゴラとブラジルってのはそんな頃から緊密な関係があったわけなんですか。 【岸和田】=ありました。やっぱりポルトガル人が植民地化した ...
続きを読む »第10回=「ラテン系アフリカ人」とは
ニッケイ新聞 2012年4月4日付け 【岸和田】=サンパウロもそうだし、あと有名なのは「コロニア・セシリア」っていう要するにアナキスト共産村を作ろうとした。 【深沢】=そんなのがあるんですか。 【岸和田】=パラナ州パルメイラ近郊に。ちょうど帝政が終る頃ですから、1889年。約200名のアナキストたちが入ってきて、それで無政府共産 ...
続きを読む »第9回=労働運動を持ち込んだイタリア移民
ニッケイ新聞 2012年4月3日付け ■イタリア移民の方が貧しかった? 【深沢】=ブラス区に州立移民記念館ってありますよね。あれ見に行くと、入ってすぐのところに「なぜ自分はブラジルに来たか」みたいなコーナーがあって、壁面に理由を一言ずつ書いてあるんですよね。 あれ読んでいたら、「戦争や飢饉で食えなかったからブラジル来た」みたい ...
続きを読む »第8回=イタリア移民が多いのに、なぜ麺はアルデンテでないのか
ニッケイ新聞 2012年3月30日付け 【深沢】=イタリア移民は、1875年から第一次世界大戦までの間にブラジルに150万人くらい入ったと聞きました。その多くがサンパウロ州に入ったので、特にここはイタリア移民の影響が強いんですよね。 【岸和田】=まあ、イタリアでも南部から来た人と北部から来た人がいて、微妙に文化が違う。そして相対 ...
続きを読む »第7回=外国移民の影響強いブラジル語
ニッケイ新聞 2012年3月29日付け ■影響力もったブラジル・ポルトガル語 【岸和田】=こっちの方が人口も多いし、経済力を握っちゃってますから。ポルトガル人は面白くないかもしれないけど。ブラジル・ポルトガル語(=ブラジル語)が中心になっている。 【小林】=ポルトガル語圏諸国で、そのオルトグラフィア(正書法)の統一をやった時に、 ...
続きを読む »第6回=古いポ語から独自に発展したブラジル語
ニッケイ新聞 2012年3月28日付け ■フェリッポンのCM 【小林】=(在リスボン日本国大使館で)現地職員の人がいて、毎朝色々教えてくれるんだけど、これが、最初は聞いてもわからない。 全員=ははは(笑)。 【小林】=まず単語がね、色々違うんですよ。例えば「モッサ(moca)」っていうの、向こうでは「ハパリーガ(rapariga ...
続きを読む »第5回=似て非なるポルトガル語
ニッケイ新聞 2012年3月27日付け ■欧州に地理的にも近いノルデスチ 【岸和田】=地理的にも近いんです。レアル・プランになって経済が良くなって以降、レアルの力も強くなって、今まで外国なんて行ったことないノルデスチ(北東伯)の人たちが行くようになった。1990年代の終わり以降ですよ。レシフェ—リスボンの直行便は昔からあって、明 ...
続きを読む »第4回=閉鎖的なポルトガル人と社交的なブラジル人
ニッケイ新聞 2012年3月24日付け 中山雄亮(ゆうすけ、31、東京) 東京外大スペイン語卒。06年に外交官補としてポルトガルで研修、08年からモザンビーク大使館で3年にわたり政治・経済と広報・文化を担当した。現在は在聖総領事館で副領事。■亜国にも引け目を持っていたブラジル 【岸和田】=文化的な引け目という視点で考えると、ア ...
続きを読む »第3回=北東伯から南に拓けていった歴史
ニッケイ新聞 2012年3月22日付け 小林雅彦氏(57、大阪)= 東京外大ポ語卒。ポルトガル大使館への勤務経験は2年間。1985年外務省に入省。87年から91年までポルト・アレグレ、91年から96年まで在聖総領事館で勤務した。03年から07年までブラジリア大使館で勤務した後、07年から2年間をポルトガル大使館で参事官として勤務 ...
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