山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(4・終)=〃光は東方より〃と叫びたい
ニッケイ新聞 2012年7月7日付け 護憲革命で連邦軍が近づき、東山農場内に陣地をはっていたサンパウロ州軍がカンピーナス市方面に後退した時、興味深い光景がくり広げられた。山本喜誉司が書いた『農場で見
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(3)=ヅットラ大統領との奇縁
ニッケイ新聞 2012年7月6日付け 1930年3月、長女・謡子が腸チブスで亡くなったことが、山本に永住を決意させる一因となった。「父は最初、農場経営のために一時滞在のつもりで来た」と坦はいう。山本
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(2)=銃雨の中で日伯旗立てる
ニッケイ新聞 2012年7月5日付け 東山農場を挟んで両軍が対峙したその時——。 【9月27日=本部に據(よ)れる(サンパウロ州軍)一隊午後9時退却、本部の前方1キロメートルにある牧草地Anhuma
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(1)=東山挟んで撃ち合いに
ニッケイ新聞 2012年7月4日付け 「今回語ったことの多くは、家族しか知らなかったことです」。2時間半にわたる取材の最後に、山本喜誉司(1892—1963、東京)の二男のカルロス坦(たん、88、北