苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民
-
苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(終)=開拓精神を支えた信仰
パルマ共同農場は最初こそ協働作業で開拓したが、徐々に独立して財産を私有に戻し巣立っていった。若者が減ると農場経営が成り立たなくなり、65年の総会でリオにあるバチスタ教会連合会に土地を寄付し、その代わ
-
苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(4)=管弦楽団持つ文化農村
ヴァルパでは文化活動も盛んで特に合唱がよく行われ、農家兼芸術家が多く住んでいた。「ヴァルパ・オーケストラ部が組織され、1940—50年頃には60人から80人のバイオリン奏者がうまれた」(阿部記事)と
-
苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(3)=バストスに養鶏もたらす
祖国での宗教迫害から逃れ、〃預言〃を信じてバチスタ信徒ら2300人が大西洋を渡り、22年11月に同植民地を創設した。そんな経緯から当初より永住を目指していた。開拓当初、信徒らは財産を自治組織に委ねて
-
苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(2)=日露戦争の両側から移住
「北から赤い熊(ロシア)が来る。この国を出なさい」。緊張が高まっていた1922年当時、祖国の危機の再来を暗示する〃預言〃をポ語で語る者が現われた—との噂がラトビア中に広まっていた。1890年代にサン
-
苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(1)=謎の過去持つ一世たち
「すべての歴史はある預言から始まりました」。ラトビア移民がパウリスタ延長線に1922年に創立したヴァルパ植民地で、ヤニス史料館(Museu Janis Edbergs)職員のルシア・ザリット・ブック