ホーム | 連載 | 2012年 | 工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像

工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像

 「最後に来たのは40年前。記憶もないくらい昔の話」―秦野生らは縁の深い神奈川農場に到着すると、清々しそうに周囲を見渡し、記憶の糸をたぐった。1962年に神奈川県立秦野高等職業訓練所に海外工業移住科が設置され、以来1980年まで通称「秦野生」と呼ばれる卒業生ら計300人余りがブラジルへ渡った。長年活動が途絶えていたが、1期生の佐藤晃さんらの発案により11日、同科設立50周年を記念し『50周年記念同窓会』が同農場の秦野10周年青雲記念碑前で開かれた。親族含め、35人が来場し再会を喜び合った機会に、戦後移民最後発組の生き様を聞いてみた。(児島阿佐美記者)

工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像=(下)=ブラジル社会へ溶け込んだ人生

ニッケイ新聞 2012年12月1日付け  3期生の佐藤隆さん(70、岩手)は、オリンピック景気の只中にあった1963年に渡伯した。日本の急成長を予感しながらも「日本で生まれて日本で死ぬより、別なことをやってみたくなったんだろうね」と自らの人生を振り返る。茨城県にあった日立を辞め、移住に踏み切った。  初めはヨーロッパ系の企業に1 ...

続きを読む »

工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像=(中)=青年の勢いで渡伯を決意

 「思ったより集まってくれた。45周年より盛り上がってよかった」。記念同窓会の世話人の一人、安藤光明さん(71、秋田、3期生)はそう笑顔でうなずいた。  工業移住者の多くがそうであるように、秦野生のほとんどは単身渡伯だった。300人余りいた秦野生のうち、現在連絡が取れるのは60人。5年前の調査によれば約30人が逝去、約90人が帰 ...

続きを読む »

工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像=(上)=数十年ぶりの同窓会で笑顔

 「最後に来たのは40年前。記憶もないくらい昔の話」—秦野生らは縁の深い神奈川農場に到着すると、清々しそうに周囲を見渡し、記憶の糸をたぐった。1962年に神奈川県立秦野高等職業訓練所に海外工業移住科が設置され、以来1980年まで通称「秦野生」と呼ばれる卒業生ら計300人余りがブラジルへ渡った。長年活動が途絶えていたが、1期生の佐 ...

続きを読む »