《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=最終回=「釼二は偽らなかった」=元妻の手のひらの上で
ニッケイ新聞 2013年2月19日 山崎の死後にアインが独白を寄せた『曠野の星』にはこうある。《私の生涯で一番幸福だったのは、山崎がボルネオの県知事時代だったので、皆から尊敬されました(中略)私の未
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第12回=子供にケンジ、アイン名=引き継がれた山崎の〃業〃
ニッケイ新聞 2013年2月16日 人文研の松阪が教えてくれた情報とは「アイダ・ゴメス・デ・アルメイダ・ヤマザキ・ローザ」がリオ連邦大学工学部大学院で11年9月に出した論文だ。その前書きに両親名とし
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第11回=なぜ讃南だけ残ったか=一人だけポ語で人格形成
ニッケイ新聞 2013年2月15日 ブラジルに残された讃南はどうなったか。宮尾は「たしか『こどものその』に入っていたはず」といい、坂尾も「その男の子は後にリオに住んでいた」というが、これは何を意味す
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第10回=商社マンと再婚し帰国=交錯するその後の情報
ニッケイ新聞 2013年2月14日 件の〃飲み屋〃の店主・西村春美さん(76、広島県出身)=エスピリットサント州セーラ市在住=を探して電話し、詳細を尋ねると、まず「飲み屋でなく、レストランです」とき
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第9回=妻に一文の貯えも残さず=アインがボアッテで女給?
ニッケイ新聞 2013年2月12日 裸一貫の密航者から始めて、ボルネオでは異民族から名知事と親しまれるまでになった人物が、なぜブラジルでは火を消したように知られることもなく志半ばで亡くなってしまった
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第8回=元妻と再会機に体調悪化=寂しい通夜と県人会葬
ニッケイ新聞 2013年2月9日 パ紙は1957(昭和32)年9月21日付け社説でも、戦前まで選挙権すらなかった女性で、参議にまでなったという意味で、藤原道子を戦後の「日本の変貌を生身で見せたような
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第7回=過酷な海岸開拓の前線へ=掘っ立て小屋が「本部」
ニッケイ新聞 2013年2月8日 坂和は56年中頃から1年ほど山崎家に下宿し、アクリマソン区のブラジル人住宅に移った。そのあとに入ったのが坂尾英矩(ブラジル音楽評論家)だ。55年当時で山崎は53歳、
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第6回=「仕事見つからず気の毒」=日本人形工場で住み込み
ニッケイ新聞 2013年2月7日 「とても気の毒でした。山崎さんは中々仕事が見つからなかったようです」。田形俊子さん(87、鳥取)=サンパウロ市ビラ・ブルデンテ在住=はそう述懐する。 出聖したとは
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第5回=アマゾン移住後すぐ脱耕=移民不適格——の烙印
ニッケイ新聞 2013年2月6日 というのも映画の筋書きが原作とはまったく違っていたからだ。映画では、山崎はアインを日本に連れて帰る決心をしたが、アインがそれを断るというラストに変えられ、しかも元恋
-
《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第4回=度重なる不幸乗り越え=原稿執筆し刊行、映画化
ニッケイ新聞 2013年2月5日付け 『南十字星』の序に尾崎士郎は、《終戦直後の混乱の中へ、恥を忍んで阿燕女史とともに二人の子供をつれて帰ってきた彼に故郷の風はつめたく、一時は周囲から指弾の的となっ
- 1
- 2