日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (117)=州公教育に日語授業入れる=核廃絶願って平和灯ろう流し
ニッケイ新聞 2014年2月4日 公教育の中に日本語を取り入れる動きは現在では一般的だが、最初にそれに取り組んだ地域の一つがレジストロだ。塾的な日本語学校は減る傾向にある中、州教育局の外国語センター(
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (116)=日本移民起源で最大の都市=中津川市と姉妹都市提携結ぶ
ニッケイ新聞 2014年2月1日 終戦後に発足した最初のレジストロ文協は正式登録も会館もない中、自然消滅していった。だが80周年(93年)を機に復活した新文協は早々に団体登録をし、10周年で念願だった
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (115)=逆転する人流と巻き返し=百周年機にリベイラ連合会
ニッケイ新聞 2014年1月31日 セッテ・バーラス日伯文化体育協会は12年11月に同地方入植百周年記念事業として新会館を建設し、富士山を望む茶畑に立体的な鳥居をはめ込んだ美しい壁画を作った。遠藤寅重
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (114)=最後の製茶工場を守る天谷=〃復活の日〃信じて耐える
ニッケイ新聞 2014年1月30日 大きな池のほとりに立つ洋風豪邸は、まるでインテリオールのファゼンデイロ邸宅そのものだ。グローボTVのノベーラから飛び出してきたようなお屋敷の裏には、かつて住んでいた
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (113)=紅茶輸出激減した90年代=全伯で唯一残る天谷製茶工場
ニッケイ新聞 2014年1月29日 朝6時すぎ、見渡す限りのお茶畑には、朝モヤとも朝霧ともつかないシトシト雨が降り注いでいた。緩やかな丘一面に等高線に沿ってお茶の畝が延々と続く。「昔はこんな光景は当た
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (112)=挑戦の始まり、ミナスへ転身=盛和塾全国大会で最優秀賞に
ニッケイ新聞 2014年1月28日 渡伯2年後に突然、父が病気で亡くなった――。山田勇次は「20歳で独立し、リベイラ河沿いにバナナを栽培した。日本への旅費を作ることだけが目的でバナナ作った。小さい時に
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (111)=〃バナナ王〃が誕生するまで=元移民老人「戦争ない国」
ニッケイ新聞 2014年1月25日 レジストロなど南聖地方は現在でもサンパウロ州産バナナの50%を叩きだす主要生産地だ。小野一生さん(かずお)は「戦後バナナで有名になった。曲尾良顕●が同地方随一といわ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (110)=80周年で復活する文化活動=〃日系魂〃込める大鳥居建設
ニッケイ新聞 2014年1月24日 清丸清が世話したサッカー留学生の一人、屋良充紀(やらみつとし、43、神奈川)=神奈川在住=は、帰国後の1995年に横浜でサッカー学校『エスコリーニャFC』を立ち上げ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (109)=サッカーチーム創立に関わる=留学生世話して日伯交流促進
ニッケイ新聞 2014年1月23日 野球を青少年育成の柱にしてきた同地だが、プロサッカーチーム創立にも珍しく日系人が関係している。移民史上で最も有名な日系人創立のサッカーチームはパラナ州の「松原サッカ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (108)=筆禍事件起こした石川達三=実は『植民』編集部に勤務
ニッケイ新聞 2014年1月22日 海興が植民希望者を集めるために戦前に発行していた雑誌『植民』編集部に、片岡松枝は編集主任として勤務していた。松枝は1923年に青山女学院卒業後、東洋大学専門部に入学