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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年

ニッケイ新聞 2013年6月22日付け

105周年を迎えた日本移民史の中で、〃最初〃という枕詞をつけてひたすら繰り返された「笠戸丸」、その船を運行した皇国植民会社の水野龍の存在には突出したものがある。だが同じ時期に「日本人植民地」創設を実現させた青柳郁太郎(1867―1943、千葉県)の存在はあまり目立たない。1913年に創設した桂植民地を皮切りに、第二にレジストロ、第三にセッチ・バーラスと拡張し、「イグアッペ植民地」と総称した。なぜ青柳は移民でなく「植民」にこだわったのか、そしてなぜイグアッペを選んだのか。時まさに日露戦争の前後、明治時代後期は日本近代史の分かれ目だった。青柳を表看板にすえて南米への移住計画を推進したのは誰で、どんな考え方だったのか。レジストロ地方入植百周年を機に、この地方に限らない幅広い歴史的な視点から、今だから見える日本移植民の原点を探った。

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (67)=アリアンサへの熱い誘い=60年史から消された人々

ニッケイ新聞 2013年11月2日  レジストロ第1回植民団の松村栄治を父に持つ昌和(91、二世)は、「私は会ったことないが、父は輪湖俊午郎さん、北原地価造さん、永田稠さんとも知り合いだった」と振りかえる。栄治は1923年に一時帰国した折り、実は当時の長野県知事・本間利雄に頼まれ、ブラジル帰りを見込まれて、アリアンサ移住地資金集 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (66)=新〃信濃村〃を作ろう!=国士的情熱で長野県人団結

ニッケイ新聞 2013年11月1日  移民会社が主体となった海興は国士的な想いよりも、利益のでる事業が重視され、植民地経営は、いわば継子扱いされた状態であった。〃日本人村〃創設に半生を掛けてきた青柳の全人格が反映された組織はもろくも変質し始めていた。  こうした海興への反発からアリアンサという新〃信濃村〃は発想された。このため、 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (65)=輪湖アリアンサ建設へ=永田稠と肝胆相照らす

ニッケイ新聞 2013年10月31日  運命の出会いは、移民史上最初の〃信濃村〃ともいえるレジストロ第4区だった。  その一人は、中南米9カ国を一巡中の日本力行会の第2代会長、永田稠(しげし)だ。1908リフォルニア州で『北米農報』を発行した。第1代の島貫兵太夫の指名を受けて1914年に帰国して会長職を継ぎ、黄禍論が高まって日本 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (64)=2軒に1軒が脱耕の危機=ノロエステに向かう流れ

ニッケイ新聞 2013年10月30日 写真=1928年当時のレジストロ市街の様子、現在のPraca dos Expedicionarios(『20周年記念写真帳』15頁)  海興職員だった野村隆輔の目から見ても、《レジストロ植民地として一番危機に瀕したのは大正十二年、即ち一九二三年前後であった》(野村『思い出』30頁)とある。人 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (63)=さらに山奥のキロンボ=「猿でも住めない不便な処」

ニッケイ新聞 2013年10月29日  山根はセッチ・バーラスの町の近くで養鶏やったり、花ゴザを作ったりした。「ゴザ生産者組合を作って会長も4、5年やりましたよ。でも90年頃から中国製の安いのが入るようになってダメになった。少しお金が貯まっていたから20年前にレジスロに出てきた」。取材(3月12日)の2週間前に亡くなった弟に関し ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (62)=激動期の1930年前後=「もし北パラナだったら…」

ニッケイ新聞 2013年10月26日  山根家では1929年に〃金のなる木〃コーヒー樹の苗を植えた。収穫は32年からの予定だったが、その間に世界は激変期を迎えた——。  コーヒー生産は二十世紀初頭からだぶつき気味だったから、本来なら米国の禁酒法時代の特需期に生産調整すべきだったが、24年から逆に大量に植えつけた。それが実をつける ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (61)=苦難のセッチ・バーラス=苦々しいコーヒーの経験

ニッケイ新聞 2013年10月25日  山根家が最初に配耕されたのは、幸運なことに北パラナのカンバラにあるバルボーザ耕地だった。「テーラ・ロッシャですよ。ブラジルは素晴らしい土地だと感じた」と振り返る。そこで義務農年を3年ほど過ごした。  その間に「父が伯剌西爾時報を読んでいて、海興がセッチ・バーラス植民地を開いたという宣伝がし ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (60)=関東大震災で国策移住に=海興の地図に振り回され

ニッケイ新聞 2013年10月24日  「海興のおかげで一生を棒に振りました。ブラジルまできて貧乏して、貧乏して、貧乏して…」。山根善信さん(よしのぶ、91、兵庫)=レジストロ在住、3月12日取材=は、まるで昨日のことのように憤る。「普通は最初にサンパウロ州の悪い土地のコーヒー園でコロノをやって、それからパラナ州のテーラ・ロッシ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (59)=北パラナへ移転する流れ=徒歩で海岸山脈を越えて

ニッケイ新聞 2013年10月3日  沼田小一郎(信一の父)は北パラナ視察の帰りに、道端でスイカを売っているのを見て「家族に食べさせたい」との一念から買い、それを担いで海岸山脈を越えて割らずに届けた。この父親の実行力、英断が家族を救った。そして同地から続々とパラナ州に向かう流れの端緒となった。  3家族が引越しのためにセッチ・バ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (58)=地図の上の一本の線=「鉄道通って便利になる」

ニッケイ新聞 2013年10月2日  レジストロが満植になるとリベイラ河にそって18キロほど上流に、1920(大正20)年からセッチ・バーラス植民地が開設された。レジストロから河蒸気で4時間もかかって遡行した。  パラナ州ロンドリーナの草分け、沼田信一(しんいち、1918—2012、北海道)=09年12月取材=は1933年7月に ...

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