日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (57)=大戦余波で鉄道延長中止=見通し困難な当地の発展
ニッケイ新聞 2013年10月1日 後に海外興業ブラジル支店長(1930—33)まで務めた白鳥尭助(あきすけ)は、イグアッペ事務所長時代の1919(大正8)年3月21、28日付け『伯剌西爾時報』に、
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (56)=独系軍人に提供喜ばれる=革命から生れた岡本紅茶
ニッケイ新聞 2013年9月28日 日本人向け緑茶のみでは市場が小さすぎ、かといってブラジル人向けなら紅茶を製造しなければ、そのためには機械化が必要という段階になっていた。 《一九三二年の革命が勃
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (55)=〃珈琲帝国〃に紅茶王国
ニッケイ新聞 2013年9月27日 日本移民の多くは「金のなる木=珈琲」(Ouro Verde)があるとの宣伝文句に乗ってブラジルへやって来たが、不思議なことに「紅茶王国」を作った。 米作が不振に
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (54)=山積する海興への借金=「宣伝に偽り」夜逃げ続出
ニッケイ新聞 2013年9月26日 レジストロ生れの吉岡初子さん(81、二世)は「KKKK(海興)には発電機があって、そこだけ夕方6時から夜10時までは電気をつけた」という。まさにそこだけ文明の〃灯
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (53)=奥地邦人羨む水郷の暮し=「捨てるぐらい魚あった」
ニッケイ新聞 2013年9月25日 1933年にサンパウロ州新報社が刊行した『在伯日本移植民二十五周年記念鑑』(香山六郎)には、レジストロ植民地の環境をうらやむ様子が書かれている。いわく《レヂストロ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (52)=赤間学院の原型は4部学校=「國の尊き魂を南米に植え」
ニッケイ新聞 2013年9月24日 レジストロには1919(大正8)年にまず中央小学校(後に第3部)が開設され、その後、第2部、第4部、第5部、市街地と、合い前後して計5校ができた。最初は日本語だけ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (51)=草分け時代の痛快な青年ら=名門子弟の〃大陸流し〃
ニッケイ新聞 2013年9月21日 米作不振からサトウキビにも手を伸ばそうと、1921年に海興は担当者を社費でペルナンブッコ州に派遣して実況視察させ、組合員の連帯責任で圧搾機を購入して植民地全体で作
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (50)=続々と発足する自治組織=果敢に米作試みるが下火
ニッケイ新聞 2013年9月20日 《各所に水田も出来、又所々に水車も回る様になり、日本の田舎を偲ぶ風情も見られる様になった》(野村『思い出』45頁)という具合で、レジストロはまさに〃日本村〃になろ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (49)=13年振りのふる里に失望=「海外発展は奪うにあらず」
ニッケイ新聞 2013年9月19日 輪湖俊午郎は1918年、13年ぶりに一時帰国したにも関わらず、信州松本市に手土産一つ持たず、こうもり傘一本で帰省した。そして、ふる里に失望した——。 8月17日
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (48)=東洋拓殖と同列の組織=韓満と南米の微妙な関係
ニッケイ新聞 2013年9月18日 「天南現出 日本村」。力強い筆使いで、海興社長だった井上雅二はそう『イグアッペ植民地創立二十周年記念帳』(1933年、安中末次郎)に揮毫を寄せている。「天の南に現