ニッケイ新聞 2013年9月11日 深沢=僕らとしては、若松さんが言われたみたいに、ここに住んでいる人間として見聞きした経験から「今現れている現象はこういう兆しじゃないのか」というような経験から絞り出した部分で、勝負していくしかないわけですよね。 田村=それが出来れば大したもんだなあ。深沢=できればいいんですが、難しいところで。 ...
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ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(9)=ドイツ系新聞は世界戦略?
ニッケイ新聞 2013年9月10日 若松=読者が少なくなって購読料収入が減ってくるし、広告も減ってくる。そういう状態の中でね、これだけの新聞よく作っているって、毎日感心しています。深沢=毎日のように「パパイが亡くなったから、もう新聞送ってくれなくていい」っていう電話が、購読部に来るんですよね。読者の平均年齢は70代後半じゃないか ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(8)=最終走者の時代を迎えて
ニッケイ新聞 2013年9月7日 若松=60歳というと若いよね。本当若い。吉田=でも今はもう60過ぎですら、一世はあまりいないよね。深沢=コチア青年の一番若い人が、もう70ですから。60代の戦後移民っていうのは相当少ないです。戦後の子供移民ぐらいでしょうか。そうなると言葉が達者な人が多いから、駐在企業とかでいい仕事に就いているで ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(7)=帰国後活躍する研修記者
ニッケイ新聞 2013年9月6日 田村=それと、今の邦字紙は進出企業とのコンタクトがあまりにも少なすぎるとは思うな。俺は『週刊時報』から『経済報知』、あれを黒字でやってこれたのは、企業に食い込んでいたからだと思うね。深沢=確かに。そうですね。 田村=何百人という社長連中のインタビューをやったからね。だからいざ広告が欲しい時は、自 ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(6)=経済政治の解説を増やせ
ニッケイ新聞 2013年9月5日 ■田中敬吾(たなか・けいご)=1931年1月、東京都新宿区生まれ。静岡県警勤めを経て、法務省試験を受けて刑務所看守になり、巣鴨刑務所3年近くいた。1964年に33歳で渡伯し、66年から藤田普一郎編集長時代のパ紙に入社、最初はカメラマン、後に社会部長。1981年にサ紙へ移り、社会部長になり2010 ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(5)=ボロボロとヘトヘトが力合わせ
ニッケイ新聞 2013年9月4日 ■若松孝司(わかまつ・たかし)=1931年2月生まれ。茨城県常陸太田市出身。東京外語大ポ語学科卒、1954年にぶらじる丸の処女航海で渡伯。パ紙で翻訳面を主に担当した後、在聖総領事館勤務しながらマッキンゼー大学経営学部を卒業してソールナッセンテ証券を設立、従業員200人を数えるまでに育てたが199 ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(4)=合併の経緯、今明らかに
ニッケイ新聞 2013年9月3日 ■田村吾郎(たむら・ごろう)=1932年生まれ、岡山県美濃郡出身。大阪学芸大教育学部卒、1960年渡伯。アラソイア・ダ・セーラで1年の農地生活後、パ紙に入社し、田中光義編集長時代を社会部長として支えた。1976年に沖本磯満と組んで『週刊時報』を創刊、1990年には独立して『ブラジル経済報知』を発 ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(3)=購読者数は最高で3万弱
ニッケイ新聞 2013年8月31日 ■西田康二(にしだ・こうじ)=1937年3月、山口県出身。山口県立医科大学(現在の山口大学医学部)を中退し、58年に山口県人会の呼び寄せで渡伯。サンパウロ州バストス市内の飼鶏場に入った。日伯毎日新聞の西功法定社長(当時)に呼ばれ、59年から2年間同社で社会部記者として勤めた。退社後は農拓協職員 ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(2)=サ紙から紙借りて発行?
ニッケイ新聞 2013年8月30日 ■吉田尚則(よしだ・なおのり)=1940年9月、秋田県生まれ。蛭田社長呼び寄せ移民の最後として1964年に渡伯。68年〜70年までウニベルツール、その後6年間、雑誌『セクロ』を刊行、1980年に園木社長によばれてパウリスタ編集部へ戻り、専務理事になり、日本の地方紙と提携を結び、90年頃、日本か ...
続きを読む »ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(1)=戦後移住と邦字紙の関係
ニッケイ新聞 2013年8月29日 ニッケイ新聞OB会(田村吾郎会長)の協力により、前身であるパウリスタ新聞、日伯毎日新聞時代から現在までの流れを振返る座談会を8月12日午前、社内で実施した。パウリスタ新聞は1947年1月1日創刊、日伯毎日はそこから分派した中林敏彦社長らによって1949年1月に創始され、奇しくもパウリスタが5 ...
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