ニッケイ新聞 2013年4月23日 岐阜県美濃加茂の多文化交流センター近くにあるブラジル食料品店「クリチバ・ショップ」へ立ち寄った時、そこで働く日系人女性に話しかけると「ソニー工場閉鎖の後はお客さん減ったわね」と予想通りの回答を口にした。「でも美濃加茂は落ち着く町。サンパウロは住むとこじゃないでしょ。ブラジルもいいところだけど ...
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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第8回=愛知編=子供たちに学びの場をー=「日本のブラジル人に貢献したい」
ニッケイ新聞 2013年4月20日 田中マルリさんの恋人ドウグラス・ナシメントさんはサンパウロ市出身、16歳で単身訪日した。大阪を中心に関西の建設現場で働いたが、訪日一年後に父親が亡くなり、それを契機に日本への定住を選ぶことになった。 30歳近くで愛知県に移って篠田さんと知り合い、ギターを嗜み子供好きだったことから、同校では ...
続きを読む »デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第7回=愛知編=再出発後も道のり厳しく=行き場を失った子供達は
ニッケイ新聞 2013年4月19日 2月5日午後2時半頃、名古屋駅を出て30分ほど市バスに揺られて降りると、川沿いに立つ真っ青に壁が塗られた建物が見えてきた。名古屋市にあるブラジル人学校「コレジオ・ブラジル・ジャパン」。国外在住ブラジル人を代表する機関「在外ブラジル人代表者協議会」の元評議員会長、篠田カルロスさん(二世)の経営 ...
続きを読む »デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第6回=岐阜編=「節度ある生活学んだ」=地域に根を張りたいブラジル人
ニッケイ新聞 2013年4月18日 なぜ日本語を使わないのかと伊禮門さんに問うと、「言っていることはわかる。でも、自分からは話さない。間違うのが恥ずかしいんだ」と言い訳し、取材中も一貫して早口のポ語で通した。 しゃべらなくなった直接のキッカケは、訪日直後に勤めた工場で日本人従業員から「(日本語が)下手くそ」とからかわれて嫌気 ...
続きを読む »デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第5回=岐阜編=「大事なことは日本で学んだ」=子供のため帰国は選ばず
ニッケイ新聞 2013年4月17日 その後、後藤佳美さんは種明かしのようにこう言った。「ソニー問題で大手メディアが取材に来たけど、最初からストーリーを作って取材していたという印象がある。事実とは違うように書かれていたのがね…」。 町全体が大変なことになっている、路頭に迷う外国人…。センセーショナルな見出しを付ければ、それだけ ...
続きを読む »デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=岐阜編=最大手雇用企業が閉鎖—=偏ったマスコミ報道?
ニッケイ新聞 2013年4月16日 大手電機メーカー、ソニーの子会社でエレクトロニクス商品の製造・修理などを手掛けるソニーイーエムシーエス株式会社(東京)の美濃加茂市の工場「美濃加茂サイト」が3月末で閉鎖すると昨年10月に発表され、大手マスコミの「揺れる美濃加茂」報道が飛び交った。 昨年10月末時点で、全就労者2千人強のうち ...
続きを読む »第3回=三重編=美濃加茂編=ソニー閉問題に揺れた街=ブラジル友の会は今
ニッケイ新聞 2013年4月13日 三重編 愛伝舎のヘルパー講座を受講する林田マリナさんは、女手一人で子供を育てるため、さまざまな仕事を経験した。化粧品アドバイザーの資格も取った。リーマンショックでは失業は免れ、工場の派遣契約満了後に講座に通い始めた。「人と話をするのが好きで、お年寄りは大事だと思う。だから福祉や介護の仕事をし ...
続きを読む »デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=三重編=否定しない帰伯の可能性=「娘を大学に通わせたい」
ニッケイ新聞 2013年4月12日 サンパウロ市生まれの阿部チエミさん(23、三世)は二世の父、非日系の母と一歳半で訪日した。両親は「2年」の予定をしていたが、結果的に「20年」になった。まさにデカセギ版準二世、もしくは子供移民だ。 鈴鹿市に住んで4年で、家族で経営する保育園「Carinho da mae」を手伝う。南米国籍 ...
続きを読む »デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=〜三重編=介護ヘルパー目指して勉強=鈴鹿市のNPO愛伝舎で
ニッケイ新聞 2013年4月11日 2008年のリーマンショックから4年以上が過ぎた。「派遣切り」などで多くのデカセギが職を失い、約12万人が日本をあとにしたとはいえ、今も19万人余が暮らす。彼らはなぜ日本に残ったのか、日本での未来にどんな展望を持っているのか。来伯する在日ブラジル人コミュニティ研究者や関係者は「定住化傾向」と ...
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