第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(77)
ニッケイ新聞 2013年9月13日 臣道連盟が指揮したのではないとしたら、7、8月の、事件の続発は、何故、起きたのだろうか? 襲撃は、6月のサンパウロの脇山事件の翌月から始まっている。「認識
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(78)
ニッケイ新聞 2013年9月14日 『拘留報告記』の執筆者が、オールデン・ポリチカで尋問を受けたのは、拘引後26日目であった。 尋問は、臣道連盟の内容、戦争の勝敗、四月一日事件などについて
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(79)
ニッケイ新聞 2013年9月17日 虐待や理不尽な取調べ以外に、被留置者は──その全員ではないが──辱めや拷問を受けた。 辱めとは、素っ裸にして放置しておく、といった類いのことで、すでに一寸
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(80)
ニッケイ新聞 2013年9月18日 不可解な請願書 以下、サンパウロ及び地方で起きた事件をひっくるめての話だが、すべては状況誤認の連鎖から発生していた。 最初、邦人社会の殆どが、戦争は日
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(81)
ニッケイ新聞 2013年9月19日 司法大臣、大統領も…… 1946年8月10日、司法大臣から、アンシエッタ及びカーザ・デ・デテンソンに拘置中の80名の「国外追放令に、ガスパール・ドゥット
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(82)
ニッケイ新聞 2013年9月20日 戦争状態にまで発展していた戦勝派と認識派の戦いは、1947年1月の森田クニャード誤殺事件(既述)を最後に、パタリと終った。 終わった理由は色々考えられる。 警
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(83)
ニッケイ新聞 2013年9月21日 虚名のみ残して…… ここで、これまで断片的に記してきた臣道連盟の実態を整理しておく。補足事項も加えて。── 臣道連盟は、戦時中にあった興道社が、終戦直前、改称
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(84)
ニッケイ新聞 2013年9月24日 勝ち負け騒動の話は、これで終わりというわけではない。ほかにも不祥事が発生していた。詐欺である。戦勝説を利用した手口で、戦後十年の間に、何件も起こった。(これも拙著
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(68)
ニッケイ新聞 2013年8月17日 同日夕刻、ブラウーナの北西の小さな町ニホンランヂア(現ビラッキ)で、森兄弟が射殺された。 この事件に関しては、その兄の長男正秀から貴重な話を聴くことができた。(
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(69)
ニッケイ新聞 2013年8月20日 カフェランヂア方面 ビリグイ方面で、火の手が上がると、それは直ぐ、同じノロエステ線の(始発駅バウルー寄りの)カフェランヂア方面に飛び火した。 まず、7月17