ニッケイ新聞 2013年9月13日 臣道連盟が指揮したのではないとしたら、7、8月の、事件の続発は、何故、起きたのだろうか? 襲撃は、6月のサンパウロの脇山事件の翌月から始まっている。「認識派の大物に天誅下る!」の報に、戦勝派の過激分子が刺激された点もあったであろう。彼らの間では「決行者」は英雄扱いされていた。 ただ ...
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(78)
ニッケイ新聞 2013年9月14日 『拘留報告記』の執筆者が、オールデン・ポリチカで尋問を受けたのは、拘引後26日目であった。 尋問は、臣道連盟の内容、戦争の勝敗、四月一日事件などについてであった。執筆者は、始めは連盟を擁護する供述をしたが、書記は、これをタイプしようとしなかった。それで、以後、答えは端折った。 尋 ...
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ニッケイ新聞 2013年9月17日 虐待や理不尽な取調べ以外に、被留置者は──その全員ではないが──辱めや拷問を受けた。 辱めとは、素っ裸にして放置しておく、といった類いのことで、すでに一寸記した。 拷問の凄まじい事例は『百年の水流』改訂版に二、三紹介したが、次の様な話もある。(猪股嘉雄著『空白のブラジル移民史』88頁 ...
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ニッケイ新聞 2013年9月18日 不可解な請願書 以下、サンパウロ及び地方で起きた事件をひっくるめての話だが、すべては状況誤認の連鎖から発生していた。 最初、邦人社会の殆どが、戦争は日本が勝ったと思った。すると、一部 の人間がそれを啓蒙すべきである……と、余計なお節介をやいた。しかも臣道連盟をテロ組織と錯覚して ...
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ニッケイ新聞 2013年9月19日 司法大臣、大統領も…… 1946年8月10日、司法大臣から、アンシエッタ及びカーザ・デ・デテンソンに拘置中の80名の「国外追放令に、ガスパール・ドゥットラ大統領の許可が下った」ことが、発表された。 追放令は、サンパウロ州政府(社会保安局)の申請に基づく行政処置であった。 州政府 ...
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ニッケイ新聞 2013年9月20日 戦争状態にまで発展していた戦勝派と認識派の戦いは、1947年1月の森田クニャード誤殺事件(既述)を最後に、パタリと終った。 終わった理由は色々考えられる。 警察と認識派自警団の反撃に、戦勝派の過激分子が追い詰められ、決起する人間が種切れになっていた。 臣道連盟が、2月に名義解省宣言なる ...
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ニッケイ新聞 2013年9月21日 虚名のみ残して…… ここで、これまで断片的に記してきた臣道連盟の実態を整理しておく。補足事項も加えて。── 臣道連盟は、戦時中にあった興道社が、終戦直前、改称した団体である。 臣道という単語は、日本で昭和15(1940)年から流行した。近衛文麿首相が「臣道実践運動」を提唱、これが広く国 ...
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ニッケイ新聞 2013年9月24日 勝ち負け騒動の話は、これで終わりというわけではない。ほかにも不祥事が発生していた。詐欺である。戦勝説を利用した手口で、戦後十年の間に、何件も起こった。(これも拙著『百年の水流』改訂版と、趣旨が重複する) 時局便乗詐欺 その何件もの詐欺とは、捏造戦勝ニュースの販売、帰国のための嘘の乗船斡旋 ...
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ニッケイ新聞 2013年8月17日 同日夕刻、ブラウーナの北西の小さな町ニホンランヂア(現ビラッキ)で、森兄弟が射殺された。 この事件に関しては、その兄の長男正秀から貴重な話を聴くことができた。(氏は本稿で、すでに登場している。) 「被害者の名前は森五一、森丸井。五一が弟、丸井が兄で私の父。 叔父の五一は大きなバールをやっ ...
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ニッケイ新聞 2013年8月20日 カフェランヂア方面 ビリグイ方面で、火の手が上がると、それは直ぐ、同じノロエステ線の(始発駅バウルー寄りの)カフェランヂア方面に飛び火した。 まず、7月17日、同じ日に、3件発生した。 1件はカフェランヂアの平野植民地の歯科医、今井競(きそう)に対する傷害事件である。 これについて ...
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