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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩

 著書『ブラジル日系社会 百年の水流』(改訂版も)で有名な外山脩氏がこの文章を書いた経緯は、本紙6面に2月26日から4回にわたって連載された「移民百年史出版プロジェクト 唖然、無責任極まる執行部」に書かれた通り。今回はそれを掲載することで、『百年史』に値する内容かどうか、実際に読者に評価を委ねようというもの。「日伯のナショナリズム」と「勝ち負け騒動」の深い関係を、徹底した取材に裏打ちされた、歴史や社会を見通す視野から論じている。(編集部)

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(60)

ニッケイ新聞 2013年8月7日  踏み絵  オールデン・ポリチカは、四月一日事件を機に留置した人々を素っ裸にして放置し辱めたり、家畜の様に扱って虐待したり、殴る蹴るの拷問を加えたりした。  中でも被留置者を愕然とさせたのが、天皇の写真を踏ませる──という拷問である。  当時の日本人には想像を絶する行為だった。死にまさる苦しみで ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(62)

ニッケイ新聞 2013年8月9日  地方編  次に、地方で起きた事件に話を移す。(以下も、一部は筆者の『百年の水流』改訂版と、趣旨が重複する)  既述の様に、サンパウロ市以外でも、多数の事件が発生した。  しかし、これらは、確かな資料が見つからない。僅かに存在するそれも、一行一行、目を通すと、唖然としてしまう。  例えば、連続襲 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(63)

ニッケイ新聞 2013年8月10日  さらに、この一覧表には、  「1946年7月15日、ノロエステ線カフェゾポリスで、敗戦派の田村某(未成年)が暗殺され、襲撃者不明」  という項目もある。  これなど、筆者は、未だ20歳にもならぬ若者が、けな気にも認識運動に参加、犠牲になった……と読み取った。  それで感心もし、同情もし、なん ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(64)

ニッケイ新聞 2013年8月13日 ▼7月10日 ノロエステ線ブラウーナで、認識運動推進者の八木宅で撃合い。一人負傷。 ▼7月10日 ノロエステ線ブラウーナの栄拓植民地で、認識派の安倍・渡辺両家宅に不審人物接近。 ▼7月10日 ノロエステ線ニホンランヂアで、認識派の森五一、銃撃され死亡。兄の丸井、巻添えで死亡。襲撃者不明。 ▼7 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(65)

ニッケイ新聞 2013年8月14日 ▼7月31、8月1日   パウリスタ延長線オズワルド・クルースで、日本人多数、暴徒と化した住民に襲われ、負傷。一人死亡。    ▼8月10日       パウリスタ延長線マリリアで、認識派の平田良博、銃撃され死亡。  銃撃者、伊藤健一。  ▼8月10日       パウリスタ延長線ツッパンで、 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(66)

ニッケイ新聞 2013年8月15日  当時、バストス産組の経営は、危機に在った。  戦時中、繭(まゆ)の市況が高騰したため、蚕種に対する需要が急増、組合は蚕種製造所を、サンパウロ州銀から融資を受けて建設した。      この時、州政府(蚕糸産業部門)の要求する条件に合う製造所をつくることになり、資金が嵩んだ。州銀からの借入金も大 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(67)

ニッケイ新聞 2013年8月16日  臭う群集心理     地方での次の事件は、4月17日、マリリア市で同時に起きた2件の襲撃である。  内、1件の被害者は──本稿で既に登場の──同市の認識運動の中心人物、三浦勇であった。  その日、事務所で執務中、訪れた一人の若い男に撃たれ、腰部に重傷を負った。男は外に出たところを、追いかけた ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(61)

ニッケイ新聞 2013年8月8日  脇山事件から、しばらく後、8月頃、コチア産組の下元健吉を狙った3人の若者が、ピニェイロス区の組合本部に接近、警戒中の警官に本部近くのバールで逮捕された。  パウリスタ延長線ツッパンの上崎孝一、水島功、ルセッリアの助川務であった。上崎、水島は、先に記した日高の話の中に出てくる「同志に誘い入れたか ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(43)

ニッケイ新聞 2013年7月13日  以上の如くで、結論から言えば、認識派史観Ⅰの使用した「狂信」という言葉は、間違いということになる。  常識的に考えても、そうであろう。終戦当時、邦人社会の人口は、ひと口に30万と言われた。幼少年者は除かねばならないが、除いた後の10割近く……ということは20万以上にはなったろうが……それだけ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(44)

ニッケイ新聞 2013年7月16日  敗戦の事実を認識せよ!という声は、終戦直後から、一部で上がっていたが、社会運動として一つの形をとって表面化したのは1945年9月29日、つまり終戦の翌月末のことである。  敗戦派の有志が、サンパウロの中央部近く、通称カンタレイラ街に在った常盤ホテルで集会を開いた。戦勝・敗戦両派を聴衆に招き、 ...

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