第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(45)
ニッケイ新聞 2013年7月17日 常盤ホテルでの失敗に懲りず、翌10月、野村・藤平は、下元健吉と組んで、またも同じ様なことを企てた。日本政府から、国際赤十字社を通じて、終戦の詔勅が邦人社会に届いた
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(46)
ニッケイ新聞 2013年7月18日 同じポンペイアの市街地に居た白石静子(既出)は14、5歳であったが、こう思い出を語る。彼女の家族も戦勝派であった。 「ウチの親族に不幸があって、葬儀の時、近くの
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(47)
ニッケイ新聞 2013年7月19日 また、臣連は、終戦で利敵産業防止運動は必要なくなったため、止めていた。同時に秘密結社から公開団体へ切り換えていた。 事業目的も「大東亜共栄圏への再移住」に変えて
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(48)
ニッケイ新聞 2013年7月20日 既述の憩の園の聞き取り調査の中には、次の様な話も記されている。 女性S「当時私たちはアルバレス・マッシャードへ行って居りました。そこで百姓をしておりました。いと
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(49)
ニッケイ新聞 2013年7月23日 ところで、その皇室の尊厳を侵し国家を冒?する暴言を吐いたハイセンとは誰なのか? 敗戦認識の啓蒙運動の中心部に居った人々が口にしたという記録や言い伝えはない。また
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(50)
ニッケイ新聞 2013年7月24日 つまり、間もなく始まる彼らの襲撃の真の動機は、認識派史観が言う様な「敗戦認識の啓蒙運動を封じるため」ではなく「敗戦派の中に広まっているという皇室や国家に対する暴言
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(35)
ニッケイ新聞 2013年7月2日 第二次世界大戦の直後、ブラジルの邦人社会に発生し、約十年続いた諸事件を指す。 では、その諸事件とは何か? これは、祖国日本の勝敗問題を巡って起きた内紛、襲撃、詐
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(51)
ニッケイ新聞 2013年7月25日 連続襲撃事件発生の引き金となったのは、終戦の翌1946年の正月、ツッパンで起きた「日の丸陵辱事件」である。 元旦、郊外にあるクインという植民地で、一入植者が、日
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(36)
ニッケイ新聞 2013年7月3日 この〃勝ち負け〃騒動、その実態に関しては、基本的に異なる二種類の説があって、今日に伝わっている。一つは、負け組のそれ、もう一つは勝ち組のそれである。 終戦後しばら
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(52)
ニッケイ新聞 2013年7月26日 なお、詰問組の中には、日高徳一もいた。その日高によれば、60年以上も昔のことであり、細かいことは思い出せぬようであったが、こう語る。 「我々7人が留置された時に