第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(29)
ニッケイ新聞 2013年6月22日 ただ、前出の香山の四十年史によると、ピエダーデでは、1945年5月、日本人80人が無届けで集会をやり、サンパウロ送りになったという。もっとも、事実なら、やった方が
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(30)
ニッケイ新聞 2013年6月25日 「 七月二十日 昨日は東條内閣総辞職の報あり。…(略)…さて、これは時節柄、どうしたことか、と一寸不安になった」 「七月二十八日 その後、ドイツの形勢は面白くない。
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(14)
ニッケイ新聞 2013年6月1日 米英の在ブラジル公館からすると、枢軸国系の新聞は目障りな存在であった。ドイツ語の新聞がヒットラーを賞賛し、イタリア語の新聞がファシズムを声援、日本語の新聞が、大陸で
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(15)
ニッケイ新聞 2013年6月4日 それに、1934年の排日法成立の頃から、この新しい動機による帰国が加わった。 一家そろって……というそれもあったが、とりあえず子供の教育は日本で……という風潮が強
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(16)
ニッケイ新聞 2013年6月5日 首都リオデジャネイロ駐在の日本大使石射猪太郎は、政府の要人たちを訪問して、ブラジルの局外中立維持を要望したり、記者会見で同趣旨のことを強調したりしていた。その著『外
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(33)
「 44年、出征が決まった。日本に行かされるのではないか、とビクビクしていた。が、送られた先はイタリアだった」 「何度も戦闘を経験した。何回か覚えていない」 「雪の中で戦ったことがある。ドイツ兵が白装
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(32)
後 者は、ブラジルに居って、志願あるいは召集により、イタリア戦線へ出征した日系兵士たちである。もっともイタリアは降伏した後で、戦った相手はドイツ軍であった。1944年から45年にかけてのことである。
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(31)
興道社は未だ設立されていなかった。 襲撃事件は多く起こったが、詳細は不明である。興道社の結社員の残した小冊子には「被害者は殆ど警察沙汰にはしなかった。利敵産業を営む後ろめたさによる」とある。 サ
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(20)
岸本昂一の知人の山口家は、印刷業を営んでいたが、ある夜、刑事たちがピストルを手に、家宅捜索にやってきた。主人は外出中、子供は不意の闖入(ちんにゅう)者に怯(おび)え、母親に小さい身体を摺(す)り寄せ
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(13)
ニッケイ新聞 2013年5月30日 当時、永住・同化を唱えた文化人は、他に古野菊生、半田知雄らが居たが、古野も戦後、帰国している。古野が、帰国の折、その〃後ろめたさ〃の様な心境を、正直に邦字新聞の紙