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2013年

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(80)  

  ニッケイ新聞 2013年9月18日    不可解な請願書  以下、サンパウロ及び地方で起きた事件をひっくるめての話だが、すべては状況誤認の連鎖から発生していた。  最初、邦人社会の殆どが、戦争は日本が勝ったと思った。すると、一部  の人間がそれを啓蒙すべきである……と、余計なお節介をやいた。しかも臣道連盟をテロ組織と錯覚して ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(81)  

  ニッケイ新聞 2013年9月19日    司法大臣、大統領も……  1946年8月10日、司法大臣から、アンシエッタ及びカーザ・デ・デテンソンに拘置中の80名の「国外追放令に、ガスパール・ドゥットラ大統領の許可が下った」ことが、発表された。  追放令は、サンパウロ州政府(社会保安局)の申請に基づく行政処置であった。  州政府 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(82)

ニッケイ新聞 2013年9月20日  戦争状態にまで発展していた戦勝派と認識派の戦いは、1947年1月の森田クニャード誤殺事件(既述)を最後に、パタリと終った。  終わった理由は色々考えられる。  警察と認識派自警団の反撃に、戦勝派の過激分子が追い詰められ、決起する人間が種切れになっていた。  臣道連盟が、2月に名義解省宣言なる ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(83)

ニッケイ新聞 2013年9月21日  虚名のみ残して……  ここで、これまで断片的に記してきた臣道連盟の実態を整理しておく。補足事項も加えて。──  臣道連盟は、戦時中にあった興道社が、終戦直前、改称した団体である。  臣道という単語は、日本で昭和15(1940)年から流行した。近衛文麿首相が「臣道実践運動」を提唱、これが広く国 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(84)

ニッケイ新聞 2013年9月24日  勝ち負け騒動の話は、これで終わりというわけではない。ほかにも不祥事が発生していた。詐欺である。戦勝説を利用した手口で、戦後十年の間に、何件も起こった。(これも拙著『百年の水流』改訂版と、趣旨が重複する)  時局便乗詐欺  その何件もの詐欺とは、捏造戦勝ニュースの販売、帰国のための嘘の乗船斡旋 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(85)

ニッケイ新聞 2013年9月25日  南洋の島の架空の土地の分譲は、既述の臣道連盟の再移住の話が広まる中で始まった。  詐欺師たちは、日本軍が占領した島に造成中の植民地だと言って、いかにも、それらしくロッテアメント(区画化)した図面を見せながら、ロッテ(区画)を売って歩いた。  これも、売った側の正体も被害の状況も、伝わってはい ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(86)

ニッケイ新聞 2013年9月26日  映画『南米の曠野に叫ぶ』は、その後、忘れられていたが、驚くことに30年も経った1980年代、ビデオ・カセットになって、コロニアに出回った。次々とコピーされて……。  同時期、円売り問題を含めて、戦勝派史観や関連記事が、その生き残りや理解者によって──コロニアではなく──日本で雑誌、機関誌、新 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(87)

ニッケイ新聞 2013年9月27日  しかし、右の説の「在米国の日本商社・銀行が、巨額の円を所有していて、それをブラジルに運んだ」という部分であるが。──  その商社や銀行は、どういう経緯で、何のために、そんな巨額の円を所有していたのか?  当時、円が、大陸に大量に存在、供給過剰で値下がりしていたというから、その一部が、米国に運 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(88)

ニッケイ新聞 2013年9月28日  前衛隊  終戦から5年後の1950年11月。マリリアで、いわゆる前衛隊事件が起きた。  そういう隊名の戦勝派50余人が、警察に逮捕されたのである。  ポルトガル語の新聞の中には「臣道連盟の復活」という見出しを掲げたところもあり「またか!」と読者を驚かせた。(前衛隊=正確には「大日本国民前衛隊 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (56)=独系軍人に提供喜ばれる=革命から生れた岡本紅茶

ニッケイ新聞 2013年9月28日  日本人向け緑茶のみでは市場が小さすぎ、かといってブラジル人向けなら紅茶を製造しなければ、そのためには機械化が必要という段階になっていた。  《一九三二年の革命が勃発して革命軍の勝利となり、革命軍はミナス州境を越えてレジストロの市街地に駐屯することになった。カフェ地帯で無い哀しさにカフェの品切 ...

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