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2013年

ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(9)=ドイツ系新聞は世界戦略?

ニッケイ新聞 2013年9月10日 若松=読者が少なくなって購読料収入が減ってくるし、広告も減ってくる。そういう状態の中でね、これだけの新聞よく作っているって、毎日感心しています。深沢=毎日のように「パパイが亡くなったから、もう新聞送ってくれなくていい」っていう電話が、購読部に来るんですよね。読者の平均年齢は70代後半じゃないか ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ =(42)=治の遠大な旅路の終着点=「父は好きなように生きた」

ニッケイ新聞 2013年9月10日  聖南の〃日本村〃レジストロは、何人もの明治男子の遠大な旅路の終着点として選ばれた地だった。佐々木定一は最初、南米の太平洋岸ペルーに移住したが、歩いてアンデス越えをし、アマゾン河流域にも定住の地を見つけることが出来ず、さらに南下してサンパウロ州ノロエステ線でも腰を落ち着けられず、最終的にレジス ...

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ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(8)=最終走者の時代を迎えて

ニッケイ新聞 2013年9月7日 若松=60歳というと若いよね。本当若い。吉田=でも今はもう60過ぎですら、一世はあまりいないよね。深沢=コチア青年の一番若い人が、もう70ですから。60代の戦後移民っていうのは相当少ないです。戦後の子供移民ぐらいでしょうか。そうなると言葉が達者な人が多いから、駐在企業とかでいい仕事に就いているで ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (41)=〃南米浪人〃岡田芳太郎=蝸牛の如く徒歩16万キロ

ニッケイ新聞 2013年9月7日  当時レジストロ地方の植民地開発の魅力は広く知れ渡り、世界から日本人が集まっていた。なかでもレジストロで客死した〃世界徒歩旅行家〃岡田芳太郎は、謎の経歴をもつ人物だ。  日伯新聞1933年2月16日付け「徒歩旅行家岡田氏 レヂストロで客死」「足跡南北米に普く 行程実に十六万キロ」との記事があり、 ...

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ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(7)=帰国後活躍する研修記者

ニッケイ新聞 2013年9月6日 田村=それと、今の邦字紙は進出企業とのコンタクトがあまりにも少なすぎるとは思うな。俺は『週刊時報』から『経済報知』、あれを黒字でやってこれたのは、企業に食い込んでいたからだと思うね。深沢=確かに。そうですね。 田村=何百人という社長連中のインタビューをやったからね。だからいざ広告が欲しい時は、自 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (40)=満韓か、南洋か、南米か=分かれる国権論者の思惑

ニッケイ新聞 2013年9月6日  1910年代の日本において「海外発展」の方向性は、満韓か、南洋か、それとも南米かという大きな分かれ道に来ており、それぞれの立場から懸命に試行錯誤が繰り返されていた時代だった。  1914(大正3)年にブラジルを実地調査して『ブラジル移植民の真相』(以下『真相』)を著した伊東仙三郎は、イグアッペ ...

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ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(6)=経済政治の解説を増やせ

ニッケイ新聞 2013年9月5日 ■田中敬吾(たなか・けいご)=1931年1月、東京都新宿区生まれ。静岡県警勤めを経て、法務省試験を受けて刑務所看守になり、巣鴨刑務所3年近くいた。1964年に33歳で渡伯し、66年から藤田普一郎編集長時代のパ紙に入社、最初はカメラマン、後に社会部長。1981年にサ紙へ移り、社会部長になり2010 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (39)=伯剌西爾拓殖から海興へ=〃百年の大計〃と営利事業

ニッケイ新聞 2013年9月5日  1916年、伯剌西爾拓殖株式会社は第1回募集の失敗、植民地内の先住ブラジル人との土地問題解決、道路造成、資金欠乏などに苦しんでいた。さらに1917年の第2回募集も不振で、《拓殖事業の継続の為には、何等か採算的な有利事業を併営して、その利益に依る外なしとの案も出て(中略)遂に移植民会社合同統一の ...

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ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(5)=ボロボロとヘトヘトが力合わせ

ニッケイ新聞 2013年9月4日 ■若松孝司(わかまつ・たかし)=1931年2月生まれ。茨城県常陸太田市出身。東京外語大ポ語学科卒、1954年にぶらじる丸の処女航海で渡伯。パ紙で翻訳面を主に担当した後、在聖総領事館勤務しながらマッキンゼー大学経営学部を卒業してソールナッセンテ証券を設立、従業員200人を数えるまでに育てたが199 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (38)=300家族募集にたった4家族=まったく集まらない入植者

ニッケイ新聞 2013年9月4日  青柳の国士的熱誠によって進められ、期待を集めていたイグアッペ植民地事業だったが、実は肝心の入植希望者が集まらず、苦心していた。  神戸大学附属図書館サイトによれば、1912年8月21日付け東京朝日新聞の「ブラジル殖民計画」という記事には、イグアッペに関して《一月までには第一回の移民を為す可く目 ...

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