ニッケイ新聞 2013年8月8日 ハルオはトッコウタイの二人がいらだっていることがわかった。彼らにははなから会話する気などないのだった。 「大和魂に反する行動をした」と、もういちど手紙の中の一節をくり返した。 「もう一度頼む。弁護の権利を認めてくれ、裁判を求める。帰って君たちを派遣した人間にそう伝えてくれ」 「われわれは ...
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(56)
ニッケイ新聞 2013年8月1日 オールデン・ポリチカは、これ以前から、日本人社会の内紛、特に臣道連盟に関する捜査をしていた。例えば、先に記した様に、ツッパンの日の丸事件では、刑事を派遣している。 が、非日系のブラジル人刑事たちには、日本人社会の内情は判り難かった。下働きの様な形で日系人を一人、二人使っていたが、彼らでは要領 ...
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ニッケイ新聞 2013年8月23日 続・パウリスタ延長線方面 8月10日、パウリスタ延長線マリリアで、また事件が起きた。 認識派の時計商、平田良博が射殺された。戦時中のサントス追立ての被害者で、マリリアに辿りついて、この仕事を始めていた。 襲撃者は直後に捕らえられた。戦勝派の伊藤健一で、ノロエステ線ピラジュイから ...
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ニッケイ新聞 2013年8月2日 認識派史観の起源 事件は、ポルトガル語の新聞が、その日の夕刊から、デカデカと報道、以後、連日、それを続けた。 記事は「日本の戦勝を狂信する秘密結社臣道連盟のトッコウタイが、敗戦を認識する同胞の殲滅を謀った」という趣旨であった。 ここで、ブラジル日系社会史上、初めて、しかも突如、臣道連盟だ ...
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ニッケイ新聞 2013年8月24日 8月20日。 ソロカバナ線アヴァレー在住の認識派の岡本良平が、3人の若い男に襲われた。が、機先を制して反撃したため、無事であった。3人は、その後逮捕された。 戦勝派もヤラレる 9月は、事件はひと休みとなった。 10月1日、ノロエステ線ペナポリスで、戦勝派の過激分子、島野並路が ...
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ニッケイ新聞 2013年8月3日 またも日本人狩り 死亡1、未遂1という事件に、検挙千数百人というのは、馬鹿馬鹿しいほどの多さであった。 この程度の事件に、それだけの人数が関係することなど、物理的にも絶対ありえない。 しかも容疑を明示しての逮捕ではなかった。一方的に、高圧的に荒々しい言葉で、追い立て、留置場に追い込んだの ...
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ニッケイ新聞 2013年8月27日 遠ざかる臣連の影 まず、認識派史観がこだわる様に、これら地方で起きた事件も、臣道連盟の指揮によるものであったのだろうか? 筆者は、事件の僅かな痕跡を追いながら、意識的に、臣連との結びつきを探した。が、探せば探すほど、臣連の影は遠ざかって行った。 1946年3月のバストスの溝部事 ...
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ニッケイ新聞 2013年8月6日 特攻隊ではなく特行隊 四月一日事件の直後、これも(以下、またも同じ表現の繰返しになって恐縮だが……)歴史上初めて、突如、表面に現れ、認識派史観Ⅶに転用された「特攻隊」という単語であるが──。 これは、やや複雑である。 まず、襲撃者自身の山下、日高そして蒸野の3人は、 「何々隊という様な名 ...
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ニッケイ新聞 2013年8月28日 加藤幸平も否定 地方で事件が続発中、オールデン・ポリチカは、認識派に対する襲撃実行者(逮捕者)の内、臣道連盟と関係がありそうな人間は、サンパウロへ移送して取調べを行っていた。 1946年8月、ツッパンで派手な一人一殺事件を起こした加藤幸平たち3人も、そうした。加藤の父親が臣連の支 ...
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ニッケイ新聞 2013年8月30日 ■吉田尚則(よしだ・なおのり)=1940年9月、秋田県生まれ。蛭田社長呼び寄せ移民の最後として1964年に渡伯。68年〜70年までウニベルツール、その後6年間、雑誌『セクロ』を刊行、1980年に園木社長によばれてパウリスタ編集部へ戻り、専務理事になり、日本の地方紙と提携を結び、90年頃、日本か ...
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