ホーム | 連載 | 2013年 (ページ 5)

2013年

第3回南米婦人会の集い=〃りんごの里〃で交流を=(2)=各国代表者が現状を報告=熱心に耳傾ける参加者ら

ニッケイ新聞 2013年12月13日  「成人式や沖縄相撲の角力大会、高齢者福祉事業に参加・協力し、食品提供などの活動をしている」と説明するのは、ボリビア・オキナワ移住地の比嘉シズエさん。今年入植59年目を迎え、253世帯、約900人が住む。オキナワ日本ボリビア協会の婦人部は3地区計173人で構成されている現状もあわせて報告した ...

続きを読む »

第3回南米婦人会の集い=〃りんごの里〃で交流を=(1)=雷雨、停電、ものとせず=婦人らの平常心に脱帽

ニッケイ新聞 2013年12月12日  〃りんごの里〃サンジョアキン(サンタカタリーナ州)で11月12、13の両日、『第3回南米婦人会の集い』が行われた。「中央開発株式会社(東京都新宿区)のブラジル事務所(CKC、山口達朗所長)の主催。農協婦人部連合会(ADESC、上芝原初美代表)などのブラジル組を中心に、アルゼンチン、ボリビア ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (89)=なぜかイタリア系退去不要?!=「日本人は全て失ってしまった」

ニッケイ新聞 2013年12月12日  トリブナ紙43年7月9日付けを見ると、海岸地帯からの強制退去命令を出したのは、サンパウロ州保安局(Ordem Politica e Social、ドップス)の専務ヴィエイラ・デ・メーロ少佐、アフォンソ・セルソ・デ・パウラ・リマ理事で「国家治安」を理由としている。潜水艦攻撃に味方するスパイ活 ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (88)=イグアッペ郡も立ち退き検討=あわや桂植民地も追放寸前

ニッケイ新聞 2013年12月11日 トリブナ紙43年7月11日付け同紙には、ドップスのルイス・タヴァーレス・ダ・クーニャ捜査官が海岸地帯20カ所の視察を終えて、サントスに戻ってきたことが報じられている。《メーロ少佐の命令を実行するために、500キロの海岸線にいる日本人とドイツ人の600家族を退去させた》とあり、さらに《8千人の ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇(87)=海興は資産凍結、戦時体制へ=サンパウロ州海岸地帯に強制退去命令

ニッケイ新聞 2013年12月10日  セッテ・バーラスで育った山根善信(よしのぶ)は戦争中には、独学で伯字紙が読めるようになっていた。「近隣にラジオを持っている人はいなかった。字引一つでブラジルの新聞をよみ、それを日本語で書いて父に伝えた。ミッドウェー海戦は『ミツドエ』と書いたな」と思い出す。  地方部の準二世は、ブラジル事情 ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (86)=泣く泣く日本語の本焼く=独潜水艦攻撃で死者1000人以上

ニッケイ新聞 2013年12月7日  《1942年1月19日、サンパウロ州保安局、敵性国民に対する取締令を公布告示》(人文研年表)とある。具体的には自国語で書かれたものの頒布、公衆の場での自国語の使用、保安局発給の通行許可証なしの旅行や転居などが禁止された。  同年1月29日、リオの汎米外相会議で亜国以外、ブラジルを含む10カ国 ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇=(85)=東宮少佐が永田稠を「国賊」=満州に打ち込んだ調和的楔

ニッケイ新聞 2013年12月6日  海外移住組合連合会の理事長になった平生釟三郎によって、アリアンサ建設の功労者・梅谷光貞は、必死に進めていたパラグアイ拓殖計画を蹴られて専務理事を31年に辞任した。その後、32年から永田鉄山の依頼で「関東軍特務部の初代移民部長」に就任した。  『先駆者列伝』129頁には驚くべき情景が描写されて ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (84)=国交断絶でなぜか敵国人扱い=戦後勝ち組につながる萌芽

ニッケイ新聞 2013年12月5日 家宝の軍刀を手にする松村栄治(松村昌和所蔵) 家宝の軍刀を手にする松村栄治(松村昌和所蔵) ヴァルガス大統領は思想的にはイタリアのムッソリーニの労働者政策に多くを学び、同じ独裁政権としてナチス・ドイツに強い親密感を感じていたといわれ、大戦に際し最初中立を保っていた。しかし、主たる輸出品であるコ ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (83)=国際協調的な南進論の流れ=軍刀献納で板垣陸相が感謝

ニッケイ新聞 2013年12月4日 明治時代の海外進出という期待感に満ちた眼差しが、まるで世界地図に刺した虫ピンの先のようなイグアッペ植民地に注がれた。明治大正を通して、移住という国際協調的な手段を通して世界とつながりを持とうとした日本だが、1930年前後の出移民圧力は、蒸気を吐いてクルクルと回る圧力鍋のように、とんでもない強さ ...

続きを読む »

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (82)=黄金郷と化した紅茶の都=続々と立ち並ぶお茶工場

ニッケイ新聞 2013年12月3日 岡本はセイロン島の港で買った丸いパンに種を10個ずつに封入して、案内人に船室まで届けさせた。デッキを洗う砂を箱に詰めて種を埋め、無事にレジストロに蒔くことができた。その種から60本ばかりの苗が育ち、一年後には挿し木にして、5年後には種を採取できるまでになった。 これがラ米初めての本格的なインド ...

続きを読む »