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2013年

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (71)=平生レジストロに大土地購入=通商強化で関係再編目指す

ニッケイ新聞 2013年11月12日  第46回で紹介した通り、1920年当時、唯一の本格的植民地だったイグアッペが排日派議員の非難の的となり、1923年10月には1回目の排日法提案がレイス下院議員からあった。でもイグアッペはその批判に耐え、サンパウロ州選出議員の反対で可決されなかった。だから20年代の移住地建設ブームが起きた。 ...

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カリブ海の〃楽園〃を往く〜第40回県連ふるさと巡り〜(5)=いまだ渦巻く怨嗟の声=謎の大使館公邸〃招待〃

ニッケイ新聞 2013年11月12日  土産物屋が並ぶメルカド・モデーロに立ち寄り買い物を楽しむ。琥珀が有名なようだ。しかし、英語で話しかけてくる売り子がうるさい。左右前後からの攻撃をかわすのに疲れ、外の立ち飲みでカフェを飲んでいると、目の前にツアーに参加している女性が通ったので「カフェどうですか?」と言ったら見事に無視された。 ...

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カリブ海の〃楽園〃を往く〜第40回県連ふるさと巡り〜(4)=新大陸最初の街を散策=記念碑に〃国策〃の文字

ニッケイ新聞 2013年11月8日  サントドミンゴの旧市街はドミニカ唯一のユネスコ世界遺産。1492年にコロンブスが到着、96年に弟のバルトロメが建設した新大陸初のスペイン植民地の町であり、日時計、大聖堂など様々なものに「新大陸初」の冠がつく。  ちなみにコロンブスは、マルコポーロの「東方見聞録」にある黄金の国ジパングを目指し ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (70)=まるで内地のような政策=平生が乗り出し宮坂送る

ニッケイ新聞 2013年11月7日  《現在の「ブラ拓」移住地と称するものは、全部田付理事長時代に、梅谷氏の手によって、基礎付けられたというべきであろう》(『先駆者列伝』129頁)。梅谷は移住地を南米に分散させる主張をもっており、パラグアイにも43万町歩を購入して5千戸を移住させる計画を進めていた。  日本国内のように振る舞う内 ...

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カリブ海の〃楽園〃を往く〜第40回県連ふるさと巡り〜(3)=「千代」女将順子さんも〃里帰り〃=下坂さん「予定ドミニカだった」

ニッケイ新聞 2013年11月7日  むっとする熱気のなか、冷房の効いた韓国製のバスに乗る。涼しいが空調がうるさい。視覚に集中し、車窓から市内を眺める。ブラジルと似ており、看板などの西語をポ語に変えれば見分けがつかないだろう。  すると、ガイドの内藤さんが「もうすぐホテルに着きます…ちなみに右側に見えるのはトルヒーリョ大統領の妾 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (69)=軋轢生む外務省と内務省=東京都並面積を7カ月で購入?!

ニッケイ新聞 2013年11月6日  移民送り出しは元々、外務省が主管する事業だったが、徐々に内務省が力を持つ流れとなり軋轢が生まれていった。  イグアッペ植民地の〃造反組〃が中心となった1924年の信濃海外協会による第1アリアンサ創設は成功し、瞬く間に鳥取が第2、富山が第3、熊本が隣接地のビラ・ノーバという具合に拡大した。これ ...

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カリブ海の〃楽園〃を往く〜第40回県連ふるさと巡り〜(2)=募集要項に消された事実=現地に一人残る田畑初さん

ニッケイ新聞 2013年11月6日  新しい国に入ったさいの記者の習いは現地ビールを飲むこと。入国審査で感じることの多い悪印象と先入観をまずは洗い流し、今後の期待感を高揚させるのが目的だ。  70ドミニカ・ペソ、4レアルほどだろうか。空港でこれだと一般価格は…早くも入国即ビールの効果あり。ラベルには「プレジデンテ」とある。今回の ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (68)=海興から手を引く青柳、水野=パラナに羨望のまなざし

ニッケイ新聞 2013年11月5日  青柳育太郎は海興重役に留まったが、最終的に《二十四年に至って青柳は帰国したが、その後意見の相違から辞任、東京シンジケート以来からの植民事業の鬼もこれから絶縁する事になった〜》(『60年』14頁)とある。ブラジル側では「青柳は負債問題解決のために帰国し、移植民が納得するような解決策をとれなかっ ...

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カリブ海の〃楽園〃を往く〜第40回県連ふるさと巡り〜(1)=76人、いざドミニカへ=移民は国境の〃防塁〃

ニッケイ新聞 2013年11月5日  1956〜58年、1道7県の249家族1319人がドミニカ共和国に農業移住した。八つの移住地に配耕されたが、〃カリブ海の楽園〃と謳われた募集要項とはあまりにかけ離れた現地の状況に嘆願書が提出され、62年には多くが帰国、もしくはブラジルをはじめとする南米各地に再移住する「戦後移住史上最悪のケー ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (67)=アリアンサへの熱い誘い=60年史から消された人々

ニッケイ新聞 2013年11月2日  レジストロ第1回植民団の松村栄治を父に持つ昌和(91、二世)は、「私は会ったことないが、父は輪湖俊午郎さん、北原地価造さん、永田稠さんとも知り合いだった」と振りかえる。栄治は1923年に一時帰国した折り、実は当時の長野県知事・本間利雄に頼まれ、ブラジル帰りを見込まれて、アリアンサ移住地資金集 ...

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