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2013年

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (66)=新〃信濃村〃を作ろう!=国士的情熱で長野県人団結

ニッケイ新聞 2013年11月1日  移民会社が主体となった海興は国士的な想いよりも、利益のでる事業が重視され、植民地経営は、いわば継子扱いされた状態であった。〃日本人村〃創設に半生を掛けてきた青柳の全人格が反映された組織はもろくも変質し始めていた。  こうした海興への反発からアリアンサという新〃信濃村〃は発想された。このため、 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (65)=輪湖アリアンサ建設へ=永田稠と肝胆相照らす

ニッケイ新聞 2013年10月31日  運命の出会いは、移民史上最初の〃信濃村〃ともいえるレジストロ第4区だった。  その一人は、中南米9カ国を一巡中の日本力行会の第2代会長、永田稠(しげし)だ。1908リフォルニア州で『北米農報』を発行した。第1代の島貫兵太夫の指名を受けて1914年に帰国して会長職を継ぎ、黄禍論が高まって日本 ...

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太鼓指導員 蓑輪敏泰さんに聞く=(下)=祖母の太鼓がある限り=チャンスあふれるブラジル

ニッケイ新聞 2013年10月30日  日本がオリンピック景気に沸いていた1960年初頭、蓑輪さんは東京でサラリーマンをしていた。経済的余裕がなくて帰郷できず、靖国神社の盆踊りを見ながら24歳の盆を過ごした。「やぐらの上での一人打ちを見て、いつかやってみたいと思った」と、当時の感動を回想する。  上京4年後に故郷の宮城県串間市に ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (64)=2軒に1軒が脱耕の危機=ノロエステに向かう流れ

ニッケイ新聞 2013年10月30日 写真=1928年当時のレジストロ市街の様子、現在のPraca dos Expedicionarios(『20周年記念写真帳』15頁)  海興職員だった野村隆輔の目から見ても、《レジストロ植民地として一番危機に瀕したのは大正十二年、即ち一九二三年前後であった》(野村『思い出』30頁)とある。人 ...

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太鼓指導員 蓑輪敏泰さんに聞く=(上)=7年間で26万キロ=文化としての和太鼓伝え

ニッケイ新聞 2013年10月29日  JICAシニアボランティアや、ブラジル太鼓協会の依頼により約7年間ブラジルで和太鼓指導にあたった蓑輪敏泰さん(65、宮崎県)が11月1日に任期を終え帰国する。コロニアの若い世代を盛り立て、ブラジル社会を巻きこみ普及していく和太鼓界を絶えず後押ししてきた。同協会で本紙のインタビューに答え、「 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (63)=さらに山奥のキロンボ=「猿でも住めない不便な処」

ニッケイ新聞 2013年10月29日  山根はセッチ・バーラスの町の近くで養鶏やったり、花ゴザを作ったりした。「ゴザ生産者組合を作って会長も4、5年やりましたよ。でも90年頃から中国製の安いのが入るようになってダメになった。少しお金が貯まっていたから20年前にレジスロに出てきた」。取材(3月12日)の2週間前に亡くなった弟に関し ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (62)=激動期の1930年前後=「もし北パラナだったら…」

ニッケイ新聞 2013年10月26日  山根家では1929年に〃金のなる木〃コーヒー樹の苗を植えた。収穫は32年からの予定だったが、その間に世界は激変期を迎えた——。  コーヒー生産は二十世紀初頭からだぶつき気味だったから、本来なら米国の禁酒法時代の特需期に生産調整すべきだったが、24年から逆に大量に植えつけた。それが実をつける ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (61)=苦難のセッチ・バーラス=苦々しいコーヒーの経験

ニッケイ新聞 2013年10月25日  山根家が最初に配耕されたのは、幸運なことに北パラナのカンバラにあるバルボーザ耕地だった。「テーラ・ロッシャですよ。ブラジルは素晴らしい土地だと感じた」と振り返る。そこで義務農年を3年ほど過ごした。  その間に「父が伯剌西爾時報を読んでいて、海興がセッチ・バーラス植民地を開いたという宣伝がし ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (60)=関東大震災で国策移住に=海興の地図に振り回され

ニッケイ新聞 2013年10月24日  「海興のおかげで一生を棒に振りました。ブラジルまできて貧乏して、貧乏して、貧乏して…」。山根善信さん(よしのぶ、91、兵庫)=レジストロ在住、3月12日取材=は、まるで昨日のことのように憤る。「普通は最初にサンパウロ州の悪い土地のコーヒー園でコロノをやって、それからパラナ州のテーラ・ロッシ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(93)

ニッケイ新聞 2013年10月8日  終戦から60年以上経った現在でも「日本は勝った」と信じている人々が居る。  全部で、どのくらい居るのか、見当がつかないが、筆者は偶々3人会った。ことさら探したのではない。別の取材の最中、そうと知ったのである。  全員がブラジル生まれである。2010年のある日、3人に集って貰い、話を聞いた。 ...

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