島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一
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島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(4)=警察で踏絵、取調べは森田=サントスから木造船で島に
地方でも中央でも留置場は満員となり、前述の様に一札入れたり、踏絵をした者は自由になった。だが、警察らの意に従わなかった人達の処置に困り、虚実の理由をつけアンシェッタ島に送りこんだのである。 この島送り
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島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(3)=有罪は決行犯ら十数人のみ=信念不変の人を多数送致
私達が島で生活した頃は、墓地の周囲には形ばかりではあるが柵と十字架があった。その後、半世紀程して機会があり、山下博美君と島を訪問する事があり、墓地に行った。訪れる者もないのか、草木は茂り十字架も柵も朽
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島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(2)=石畳建設で100米に一人犠牲=島の初期住人はラトビア人
アンシェッタ島は、今はサンパウロ州自然保護局の管理下にあり、自由に一般の者も出入り出来る観光地の一部になっている。知っている人も多いと思うが簡単にその場所を書く。 中央線のタウバテから観光地のウバツー
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島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(1)=ブラジル近代史の現場に=118人死亡の大反乱の舞台
サンパウロ州海岸北東部にあるアンシェッタ島は逃亡絶対不可能な〃監獄島〃として、奇しくも第1回移民船笠戸丸と同じ1908年に創設され、最初は軽犯罪者が送り込まれた。それが、ヴァルガス大統領時代の1930