2014年
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(9)=ゲットーの街――ユダヤ移民
さまよえるユダヤ人は、楕円形の曇りガラスの看板の前を通り過ぎた。わたしは立ち止まって読んだ。「カフェ・ヤコブ」。黒い字がソロモンの星(二つの三角形が上下に組み合って六角の星をなす)の下に書かれている
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(8)=ゲットーの街――ユダヤ移民
灰の聖水曜日――。ルス駅にかかる茶色の陸橋を横切ったとき、車は濃い雲のように汚れた煙をあびた。すると突然、今日は「灰の聖水曜日」だったことに気がついた。灰色のかたまり。強烈に石炭がにおう黄色い煙のか
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(7)=ダブルの生ビール――ドイツ移民
ピアニスト。村のガチョウの気を引きそうな顔した夢見る男。弾いては飲む。鍵盤のそばには生ビール。その視線はさまよう魂のように遠くにある。17世紀のピアニスト、ブルジョアの抒情詩人、職匠歌人(マスターシ
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(6)=ダブルの生ビール――ドイツ移民
ベネジチニョス(サンベント)修道院のドイツ製の時計、――時を告げる青銅の鐘が11回鳴る――そのころ夜の幻想がやってくる。天使のようなストラスブルゴの辛抱強い職人たちの魂が、ビザンチン様式《註=ビサン
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(5)=人形の街
人形の街。 別の子ども。別の女。別の男。また別の子ども。また別の女。また別の男、誰も彼も人形だ。いつもフジタ《註=藤田嗣治(つぐはる、1886―1968)東京生まれ。洋画家。第2次大戦後フランスに帰
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(4)=人形の街――日本移民
・・子どものときに想像したこと。 「こここに深い穴を掘って、掘って、深く、ものすごい深い穴を掘って、地球をつきぬけて、その中にあたまから落ちてズーズーズ、ポーン。一丁上がり。とうまい具合に向こう側の
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(3)=ハンガリー・ラプソデイー
白い漆喰の塗られた待合室に、飾られた色とりどりの紙の鎖と風船。カラフルだ。はじける大きな音。高い壇上にはファランドールを奏でるための二つのアコーデイオン。アコーデイオンとニチヨービ。長音が二つでぴっ
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(2)=ハンガリー・ラプソデイー
コンパス・ローズ《註=「風のローズ」羅針盤の意》。モッカ区の高台。この高台にはサンパウロ中の風が住んでいる。 オラトリオ(祭壇)街。街でもなく、祭壇もない長い上り坂。疲れて足を引きずってしまう。登ろ
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コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(1)=なぜ上梓したかって?
ついこの間、ある友人にいわれた。 「ほら、おぼえているかい、外国移民たちが住むサンパウロの各地区について書いたルポ・シリーズがあっただろう? 確か『エスタード』紙(註1)で、記憶違いでなければ192
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「ギリェルメ・デ・アルメイダ館」に寄せて=中田みちよ=(3)=蘇る「古き良きサンパウロ」
理想の女性にめぐり合ったギリェルメは足げくリオに通い翌年、婚約した。結婚したのは1923年9月でリオに住むことになった。 「結婚と同時にリオに移ったが、26年にサンパウロに戻り、パドレ・アンシェタ