認識派は戦中に受けた心の傷から「政府批判」に敏感になっており、勝ち組が力をつけると公に政府批判を始める可能性があると見た。その前に徹底解体しなければ自分たちが巻き添えを食うから、政府側について一緒に弾圧する側に回る―ことを選んだのではないか。 とはいえ勝ち組大衆も、それを抑圧する側にまわった側も、「戦争」という一枚のコインの ...
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第31回=全盛の105号で突然の休刊
最終巻の「休刊の辞」に岸本本人が書いた《終戦直後、コロニアは祖国の敗戦によって、思想的混乱に陥り「強硬」「敗戦」の二派に分かれて拳銃やドスを懐にして血眼になって抗争している最悪の時にこそ、民族の道しるべとなる高らかな言論の必要を感じ本誌は生まれた。「国は敗れても、精神を失うな!」と呼号して両派の間を駆け回った》との言葉に編集姿 ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第30回=恩讐を超えた境地とは
戦前移民の85%が持っていた「帰りたくても帰れない」心情が、戦後、帰国不可能という現実に直面して「郷愁」という病気になった。それを直すために、毎日薬を呑むように、郷愁を繰り返し題材して小説や俳句、短歌をつくり、共感しあうことで慰めをえた。彼らは「帰りたい」こころを持ち続けながら理性でそれを「不可能」だと否定し、自分を納得させる ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第29回=吹き出す戦前戦中の怨嗟
同選集第2巻に収録されている安井新(本名・藪崎正寿)の小説『路上』(1958年第2回パウリスタ文学賞受賞)には、戦中の45年2月、一千家族の日本人植民地が約400人の州兵によって徹底的に家宅捜索され、略奪・暴行を受ける様子を小説として描いた。当時の日本移民の心境を説明して、こんな一節を書いている。 《もし祖国が何の価値もない下 ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第28回=歴史がムリなら小説に投影
病気を治すには「自分が病気であることを認識する」のが第一歩だ。つまり、ストレスの原因がブラジル社会との関係にあったと日系社会が自己認識するには、移民史の中に記す必要があった。 ところが、戦中の迫害をまっさきに書いた岸本は国籍剥奪裁判という事態となり、「表現の自由」は奪われたまま。ヴァルガス独裁政権の続きの50年代はもちろん、6 ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第27回=「圧力鍋」が爆発した理由
『不適応』は、海外不適応の舞台がブラジルのような《発展途上国では、一般に万事が激烈であり、また直接的な形をとりやすい。まず、在留邦人の呈する不適応現象の表れ方は、どちらかというと急激で強烈なものとなりやすい》(44頁)と指摘する。敵性国人として扱われ弾圧を受けた戦中は、まさにその条件に当てはまる。 中根は、海外における日本人集 ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第26回=社会不適応という圧力鍋
戦後移住開始は1953年。日本から渡伯する分には渡航費補助が支給されて5万人がブラジルに送り込まれたが、戦前からの環境不適応者数百人を「邦人保護」の観点から送り返す発想はなかった。戦後移住開始直後に「邦人擁護」目的で不適応者を祖国に帰してやれば、桜組挺身隊事件も起きなかっただろう。 総領事館に要求を拒否され、誰にも頼る事ができ ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第25回=不適応という心の傷
1980年にNHKブックスから刊行された『日本人の海外不適応』(稲村博著、以下『不適応』)という興味深い本がある。 《著者は過去十数年の間に、世界の各地を訪れる機会を持ったが、どこへ行っても不適応現象に苦しむ邦人に出会わざるを得なかった。(中略)不適応現象に陥っている人のいかに多いかに驚かされた》(3頁)とある。80年頃によう ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第24回=日本移民が抱く故郷喪失感
「帰りたくても帰れない」――これを故郷喪失と言わずして何というのか。「ディアスポラ」(離散した者、故国喪失者)という言葉は、日本人には身近ではないが、「生まれた場所を追われて離散し、祖国喪失感を刻まれた民族」を示す。 一般的にはユダヤ人やパレスチナ人、アルメニア人、時にアフリカから新大陸に連れて来られた黒人、中国から出て行った ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第23回=75%が帰国できなかった現実
前節の藤野純三のような戦勝派が「日本は負けるはずがない」との信念で固まっていたのは、戦前移民の大半は「5年、10年したら金を貯めて日本に帰る」つもりでいたことに関係する。 1939年に刊行された現勢調査報告書『バウルー管内の邦人』(輪湖俊午郎編)の巻頭で、在留邦人の実に85%が「帰国」する意向だと答えた。この人たちの多くが、戦 ...
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