幹部たちが眉にしわを寄せ忙しそうにしている他は、毎日、退屈するほどのんびりしていた。もっとも、大人たちの心はしるよしもなかったが。 そんな日々のある時から大人たちは、大きな油の空き缶や、小さな空き缶をカンカン、カンカンと叩いて何かを作り始めた。 サンパウロで行進するための太鼓がわりだった。 サンパウロのジョン・メンデス広場は思 ...
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終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第3回=「今、先生様がお散歩に」
サントアンドレーのあの場所は、夕暮れ近くになると視界が遮られるほど霧の深い所だった。なので、朝は地面が濡れていた。その濡れた粘土のような土を踏んで下の池まで顔を洗いに行かなければならないのだが、かならず誰かが滑って尻もちをついた。大人の困惑をよそに、私にはそれが面白くて毎朝笑っていた。 朝は、広場で体操をしたあとに朝食。 おに ...
続きを読む »終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第2回=若い女性には苦痛な事も
ブラジル各地から集まった桜組挺身隊の同志は、サントアンドレー市の町はずれで養鶏場を営んでいた人のところに落ち着いた。 共同生活を三カ月くらいやった後、軍によって強制解散させられるのだが、その後の同志の動向はしばらくの間伝わっていたが、今は、ほとんど私には分からない。 私とあまり年の差のないある女性で、料亭に働きながら苦学して、 ...
続きを読む »終戦70周年記念=桜組挺身隊の記憶=カンピーナス 伊藤喜代子=第1回=子供からみた事件の内幕
ちょうど60年前――終戦直後から始まった勝ち組系の動きの中でも最後の大規模なものが起きた。1955年5月16日にサンパウロ市のセー広場周辺で起きた「桜組挺身隊の街頭デモ」だ。53年5月頃からサントアンドレー市郊外の日系養鶏場に集まり、鶏舎で集団生活を始めた3百数十人の代表は、在聖総領事館に「民族総引き揚げ」を求めて談判を繰り返 ...
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