和太鼓「絆」の響きが地域を繋ぐ 後半の15年は開校当初に比べますと生徒数は半数にも及びませんが、それなりにきめ細かなゆとりある授業ができました。 また、和太鼓の導入がリーダーを育て、そのリーダーたちによってブラジル社会との交流が盛んになり、非日系の生徒が入学してくるようになりました。 他方、長い間、停滞気味であった連合会傘下の ...
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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(5)
それに追い打ちをかけるように、連合会経営の学生寮もまた、寮費や学費が払えない者、近隣の町から市の援助により学生バスが通うようになったので自宅から通学する者が増え、募集しても入寮者はわずか2~3名程度で徐々に寮生が減少し、一時、閉鎖することになりました。本当に「万事休す」という状態でした。 そんなとき、若い教師たちと共栄日本語学 ...
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また対外的にはコチア産業組合の支援を受けてローカルテレビを通じて、週1回、正午15分間の日本語講座を開設し、日本文化紹介に努めました。しかし、2年も経ずにコチア産業組合は経営不振に陥り、この日本語講座はやむなく中止となりました。 当時、若い教師4名は学生でした。その中には田舎に住んでいるバス通学の夜学生もおりました。バスを降り ...
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連合会創立当時から学務という部署がありましたが、83年、名称を日本語普及部と改め日本語普及に向かっての活動が始まりました。同年、松原移住地にも私塾の日本語学校が開校され、殆どの日本人移住地に日本語学校が開校し、日本語学校生徒の交流の輪が更に広がっていきました。 またこの年、私は第5回JICA日本語教師本邦研修に推薦され、玉川大 ...
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共栄の生徒と向き合う中で、共栄だけの日本語教育でよいのか、連合会マ州傘下の日本語学校がよくならなければ生徒も成長しない、ということを感じ始めました。連合会会長に地域の日系子弟が交流できる場を提案すると、会長は連合会主催として日本語学校行事の開催を快く引き受けて下さり、第一回児童絵画教室を開催し、次々に交流の機会を増やしていきま ...
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はじめに 今年、南マットグロッソ州日伯文化連合会創立50周年、本校創立25周年を無事迎えることが出来ましたこと、この上もない歓びであります。 南マットグロッソ州日伯文化連合会並びにドウラードス日本語モデル校は、私に夢と希望と、多く方々との出会いを与えてくださった学び舎でありました。 また、ドウラードスは1956年、北海道から家 ...
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