寿命が尽きた土 次が土の疲弊である。 これも、すでに記したことの繰返しになるが、北パラナが多くの開拓者を惹きつけたのは、その豊穣な大地であった。太古以来の大原始林が養い続けたテーラ・ロッシァの肥料分であった。しかし、それは、当然ながら永遠ではなかった。人間が植えた作物が、その肥料分を吸い取り続けたからである。肥料分は25年から3 ...
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(68)
気になる一事 話を進める前に、筆者には気になる一事があるので、ここで、それを片づけておく。 30年前、赤木平十さんが、馬泥棒を追っていた途次、路傍に見つけた野生の棉は、建設失敗の危機にあったトゥレス・バーラス移住地を救い、以後二度に渡って繁栄させた。平十さんの存在感は大である。しかし資料類に目を通すと、扱いが、それほどでもない。 ...
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マリオさんは、日本移民史の研究家でもある。だから、祖父の家は史跡として保存する目的もあった。筆者は、その家を訪れてみたが、当時の移民の暮しを知る上で、非常に参考になった。 外観は小さな感じだが、中に入ると広く、部屋数も多く、住宅としては申し分ない造りであった。当時の移民の暮らしを実感できた。煉瓦づくり、白壁という構造ではなく、 ...
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華やかなりし時代 1940年、トゥレス・バーラス移住地のセードロ区に40アルケーレスの土地を買って入植、カフェーを植えた。栄太郎、すでに60歳を過ぎていた。やがて終戦後のカフェー景気が来た。 以後の栄太郎の暮らしぶりが面白い。市街地でも一部しか電化されていない時代だったが、自家発電をした。トラトール、カミニョンを新品で買った。英 ...
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伊予の放蕩児とカフェー景気 アサイの主作物の一つであった綿は、戦後、採算が芳しくなくなった。政府の為替政策の影響で、輸入品の農薬の価格が上昇したためである。それに代わって景気が出たのが、もう一つの主作物カフェーだった。 すでに何度か触れたことであるが、カフェーは、終戦の年から1950年代にかけて、世界的に需要が上昇した。「戦争が ...
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前出のアンシエッタ仲間の、その後に触れておく──。 吉川吉郎は、アサイに来てしばらくは公民学園の先生をしていた。が、サンパウロへ帰った。父親の吉川中佐もそうした。 松本勇は、谷田の製材所のそばに建物を借り、ガラナを生産した。製材所に発電機があったので、それを利用させて貰うためだった。生産はうまく行った。アサイはガラナの成りがよ ...
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直訴状の内容は、ポ語文で抽象的な表現が多く判りにくい。が、要するに襲撃事件に関し、臣聯の無実を主張、警察が聯盟員に加えた虐待、拷問その他の迫害を告発、かつブロクラシア=お役所仕事=排除を訴えている。 そのブロクラシアとは事件後、警察が自分たちから取り上げた身分証明書などを返さず、外務省もそういう事情を理解してくれないため、日本 ...
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公民学園 彼らアンシエッタ仲間は、家族単位でアサイに転住してきた。自然、地元の聯盟員と一つの小社会を構成した。この小社会の子供たちは、谷田の公民学園で学んだ。 その生徒であったという人が、2015年現在、ロンドリーナ市内で健在である。前出の佐藤正信の娘、信代さんだ。筆者は二、三度会って、話を聞いた。 1938年の生まれで、アサイ ...
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1946年7月、谷田を含む78人が、アンシエッタ島の刑務所へ送られた。谷田、48歳であった。島流しは同年末まで続き、計170人となった。その中には、襲撃実行者もいたが、大部分は無関係(無実)の臣聯の役職員や一般の戦勝派であった。 なお──すでに記したことであるが──この島流しは、起訴以前の段階であり、正規の刑務所への収監ではな ...
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臣道聯盟理事・谷田才次郎 馬の背……つまりアサイの市街地のことは、先に触れた。 その背筋に当たる大通りを下り切った処に、谷田才次郎という人物が長く住んでいた。戦前から戦後にかけてのことである。製材所を営んでいたが、その一方で、臣道聯盟の本部(在サンパウロ市)理事でもあった。 極めて個性的な男で、幾つか話の種を残している。例えば、 ...
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