3月28日夜にはドラセネンセ文化体育協会(ADEC)の会館での交流会に参加した。ドラセーナ市(人口4万5千人)創立が1945年12月で、同会創立は1948年9月だから、町の歴史と同じくらい古い。敷地面積は約1万平米、旧会館は1987年に建てられ、現在の新会館は2007年に改築されたという。建築面積1千平米ほどもありそうな大きな ...
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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第6回=ジュンケイロポリス=色々な形の日本との繋がり=鳥居は日本人への信頼の証
会場で最長老の古川正さん(ただし、97、北海道)はジュンケイロポリスに20年住む。1933年に渡伯し、「弓場(勇)さんが岩谷鶏を入れた頃、バストスでビッショ・デ・セーダ(養蚕)をやっていた」という。堀江・古川・マチウデさん(58、二世)は「父はアルバレス・マッシャードに住んでいたが、資金を貯めてここに土地を買った。それから60 ...
続きを読む »第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第5回=ジュンケイロポリス=鉄道開通したが車の時代に=「第2のバストス」とも
荒牧謙一さんは「1950年には日本人会はできていた。米のサッコ(袋)の上にみんなで座って相談していたのを覚えているよ」と思い出す。「60~70年代には〃第2のバストス〃と呼ばれて、日系が500家族はおり、植民地が12、3あった。だからミス・ジュンケイロポリス(美人コンテスト)には15人も候補がでた。野球や相撲も盛んだった」と往 ...
続きを読む »第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第4回=ジュンケイロポリス=戦後の原始林開拓の現場=今は2時間、当時は3日3晩
川崎千恵子さん(78、二世)は、「50年から原始林の開拓ができるようになって、52、3年に大挙して入植した。一番多い頃には500家族ぐらい居たのよ。田舎に住んで農業やっているのは、ほとんど日本人だった。みんなヤマを開拓してカフェを植えた。資金のある人はカフェ精製場を作ったわ。ガイジンが2軒、日本人が3軒という時代もあった。今は ...
続きを読む »駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(2)=UFO
「工場長、この辺はよくUFOが現れるそうですよ。というのは、真っ赤な嘘ですが」と、私より半年ほど早く、ブラジル支社に就任していた後輩の矢柄が言った。 「馬鹿野郎」と、私は親愛の情を込めて、後輩の頭を小突いてやった。しかし、そう言われてみれば、UFOが突然現れてもおかしくないような、見渡す限りの荒涼とした世界であった。「よくも ...
続きを読む »第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第3回=Oクルス=立派な会館に一行驚く=「時間短すぎて勿体ない」
一行は、同地の婦人部手製の料理に舌鼓をうち、バス旅行の疲れを癒した。乃美会長によれば、同地で行われる最大の行事は西本願寺主催の紅白歌合戦、その他、文協主催の敬老会や新年会も行われている。「4年前まで日本語学校があったが、JICA青年ボランティアが来なくなり消滅してしまった」と残念そうにのべた。 この町で生まれ育ったオズワルド・ ...
続きを読む »第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第2回=Oクルス=「市民にとって歴史の恥部」=正信偈の中、焼香の列並ぶ
マギノニ記者はさらに「あの時、町では日本人を探し回って殴る蹴る引きずると酷いことをしたと、大きくなってから聞いた。祖父の判断を誇らしく思う、彼は正しかった。たった一人の日本人の罪を、他の日本人全員に償わせるようなことをしたのは明らかな間違い。あのようなことが起きたことを思い出すたびに恥ずかしくなる。我々全ての市民にとっての歴史 ...
続きを読む »第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第1回=苦々しい記憶―Oクルス事件=暴徒と化したブラジル人が襲う悪夢
第42回県連ふるさと巡り一行154人はバス4台に分乗し、3月27日から4泊5日で、最初に奥パウリスタ延長線のオズワルド・クルス、ドラセーナ、ジュンケイロポリスという訪れる機会の少ない、主に戦後に開拓された町々を回って、最後に開通百周年を昨年祝ったばかりの伝統あるノロエステ線のリンスを訪ね、今回も地元日系人との貴重な交流を繰り返 ...
続きを読む »駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(1)=失踪
先任の大岩康信がパウリスタ大通りにある、良く言えば二十五階建てのビジネスビル、悪く言えば雑居ビルに間借りするブラジル支社から失踪してから、既に一年近い時間が経過していた。 小峰は、その大岩という先任者の事を当然よく知っている。日本本社の輸出センターで、一時彼と同じ課に勤務していた事があったからだ。大岩は三十歳の後半に課長に昇格 ...
続きを読む »3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖=(下)=施設手前で線量計「ピー」=未来の福島、今のゴイアニア
原発事故によってブラジルに移住した一條・ルシアノ夫妻。彼らとともに車で、1987年9月~10月にかけて起こった被ばく事故現場へと向かった。 まず訪れたのは、廃棄物が保管されている施設である。ここはゴイアニア中心部から西に約30キロのところに位置している。有刺鉄線の向こうには、古墳のような土の盛り上がった場所が見える。ここの地下 ...
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