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2015年

3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖=(中)=放射能汚染事故現場を訪ねる=「私の過去が放射能ゴミに」

事故の現場。隣家は取り壊されず、今も人が住んでいる(西牟田さん提供)

 一條直子さんは夫のルシアノさんとともに、2011年3月の震災を機会にゴイアス州へと移り住んだ。そのゴイアス州ではかつて大規模な放射能汚染事故が起こっている。1987年9月~10月のゴイアニア被ばく事故である。これにより少なくとも250人以上が被ばくし、4人の民間人が命を落とした。腕や指を切断した者、さらには長い間、身体の不調に ...

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3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖(にしむたやすし)=(上)=震災直後、家族と猫2匹で=母「あの家で死にたい」

一條直子・ルシアノ夫妻(右)と記者(西牟田さん提供)

 ノンフィクション作家の西牟田靖さん(45、大阪)=東京在住=が放射能汚染の危険な事例や、ハイパーインフレ時代の生活観などを取材するため2月8日に来伯した折、本紙への寄稿を依頼すると心良く了解し、帰国後にこの原稿を書き送ってきた。『誰も国境を知らない 揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅』(08年、朝日文庫)等数々の話題作を発表 ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(10・終わり)=二つの名器が奏でる調べ

親族に囲まれた晩年の吉川(右手前、早田家所蔵)

 『伯謡会の回顧』(84年)で鈴木威は《私は小鼓を二丁持っています。一丁は母の親ゆづり、もう一丁は脇山大佐が凶弾に斃れる数日前、吉川中佐の手を経て私に贈られたものです》(108頁)と書く。 終戦勅諭に署名した時から脇山は覚悟を決めていたのかもしれない。だから、大事な小鼓を鈴木に贈った。でも吉川を通して贈ったということは、友を死の ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(9)=認識派に祭り上げられた脇山

盟友の脇山大佐(『バストス日系移民八十年史』バストス日系文化体育協会、10年、84頁)

 吉川は勝ち組から祭り上げられたが、その盟友である脇山甚作バストス産業組合長(陸軍大佐)は逆に認識派から持ち上げられた。 皇紀二千六百(1940)年には全伯産業組合の代表として招聘されて帰朝し、帝都の式典に参加した。でもそれゆえに、開戦後は政治警察(DOPS)からは真っ先に睨まれた。 《ブラジル官憲より、氏が日本陸軍の上層部であ ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(8)=「中佐に頼るべきではない」

押岩嵩雄(『百年の水流』、237頁)

 丹念な取材を積み重ねた末に書かれた『百年の水流』で外山脩は、暗殺事件の実行関係者の一人、押岩嵩雄(1947年1月の森田芳一の甥ご札事件の関係者)から次のような驚くべき証言を引き出している。 押岩は臣道聯盟が1946年1月頃にジャバクアラに事務所を開いたのを聞き、パウリスタ線のキンターナから出聖して吉川を訪問した。 暗殺計画の存 ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(7)=勝ち組の救世主に祭り上げられ

 〃吉川精神〃は1944年10月、獄中で書かれた。早田さんに「吉川は獄中の話をしなかったか」と尋ねると「聞いたことない」と答えた。「戦争中に警察に連れていかれた。拷問されたという話は聞かなかった。でも監獄で脳溢血を起こし半身不随になりました。初めはものも言えなかったが、だんだんドモリながらもなんとか言えるようになった」と思い出す ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(6)=吉川が〃賛同〃したものとは

 『十年史』で「薄荷国賊論」と単純化されて表現されたものは、戦中に獄中で吉川が書いた古い文体の文書のことのようだ。『日本移民八十年史』(編纂委員会、91年)によれば1944年10月に書かれたもので、186~190頁に全文が掲載されている。 その中で《「メントール(薄荷)」の用途を知るにおよび驚愕、窃かに本国政府の意見を正そうとす ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(5)=理屈っぽい謡曲教師の姿

伯謡会で見せた明るい表情の吉川

 早田さんは「吉川さんは洗濯屋の仕事は手伝わないが台所を良くやってくれた、軍隊式でね。今日は何と一週間分の献立を表にして貼り出し、その通りに作った。家族の分全員を作ってくれ、けっこう美味しかったんですよ。本当に真面目に仕事をする人だった」と懐かしそうに目を細める。 「戦争前には、よく青年が出入りして謡いや生け花を習いに来ていた」 ...

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終戦70周年=〃台風の目〃吉川順治の横顔=身内から見た臣聯理事長=(4)=棉作諦め洗濯屋「アジア」に

早田さんの妻笑子さん

 早田さんは「吉川家は1934、5年に渡伯してきましたが、その直前に私だけを残して家族は帰り、東京で暮らしていたそうです」という。「父は『性に合わない、ブラジルは嫌だ』って帰ってしまった。帰るお金はとってあったようです」と振りかえる。 「あしあと」プロジェクトの渡航者名簿データベースで調べると、吉川順治は1935年4月29日サン ...

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ガウショ物語=(11)=底なし沼のバラ=<3>=襲いかかる大男から逃げる娘

伝統的な衣装を着たガウーシャ

 ちょうど、こうした出来事が起こっているころにアンドレ軍曹がやって来て、間もなく結婚の噂が広まったというわけだ。 シッコンは口から泡を噴くほど憤慨した……馬に八つ当たりし、犬どもには鞭が飛び、弟たちは平手打ちを喰らい、母親にまで乱暴な口を利いた。 父親のシッコ爺さんにだけは遠慮があった。なぜなら、穏やかな見かけによらず、いざとい ...

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