目論見、狂う 1937年、矢崎節夫という長野県人の土地売りが、ピリアニットの8千アルケーレスの分譲を請け負った。残りの1千アルケーレスは、南米土地の直営地とされた。 矢崎は8千アルケーレスをロッテアメントして、翌年売り出した。その対象は、主としてサンパウロ州のファゼンダで労務者として就労しながら、土地購入・独立の機会を待っている ...
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(78)
政府は、一方で(山科と連携して)財界人に、ブラジルでの大型農場や植民地の建設を要請した。この点も筆者の「読み」である。が、1926年以降、野村徳七、今井五介、岩崎久彌、川西清兵衛、武藤山治、後宮信太郎ら錚々たる財界人が動き出している。 さらに政府の予算で、海外移住組合連合会をつくり、移住地の建設に乗り出した。 これにより、日ブ ...
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六章 ウライー山科禮蔵の奔走 山伐り請負業者、西村市助がトゥレス・バーラスの樹海に、最初の斧を入れた1932年から4年後――。 その北隣のコンゴニャス河畔(現ウライー市)で、やはり日本人による大型の植民地造成が始まり、ここでも西村が最初の斧を入れた。 この植民地は、実はその14年前に発案され、土地も10年前に入手されていた。しか ...
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ハンセン病患者の救済に献身 この佐々木神父、どういう人なのだろうか? 1930年、浜松市に生れた。家族は曽祖父の代からカトリックの信者だった。母方の祖父と叔父は歯科医で、無料奉仕でハンセン病患者の歯の治療をしていた。そういう話を母親から聞きながら育った。 大東亜戦争で浜松は焼け野原となり、自宅も全焼、10平方メートルの部屋に8人 ...
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総てはピストルで… この町には、古くから有力なファミリアが居った。コスタ、ペルソ、メーロという姓で、メーロは3家あった。これが土地の境界線争いなどで、戦ったり手を組んだりした。サンジェロニモのバンギバンギの多くには、このファミリアが絡んでいた──というのが当時の一般的な憶測であった。 町のレスタウランテで偶然、二つのメーロ家の血 ...
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ブランドン判事 もう一人が、こう追加した。 「昔、クリチーバに行った時、サンジェロニモの町の名を出したら『アア、人殺しとライ病の町……』と言われた。 1970年代までは、事件が多かった。判事も検事も警官も、ピストレイロを恐れて仕事をしなかった。が、1980年代の初め、ブランドンという気骨ある判事が着任、ピシピシやり始めた。優秀な ...
続きを読む »静岡県菊川市=外国人児童の教育現場は今=人格形成と社会適応の現実=(10、最終回)=幸せに生きられる居場所
焼津市の賛同を得られず、同教室が閉められる知らせは、子供たちにとっても講師たちにとっても、非常に残念な知らせとなった。 「どうにかしてくれるでしょ、と周りに言われるが、さすがに厳しい」と山下さん。「私のプロジェクトじゃない、子供たちのプロジェクトなんだということが理解されてないんじゃないか」と訴える。 ようやく実体となって現れ ...
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戦争が終わると、禁止令が解けてもいないのに再開、教員会までつくって半ば公然と活動した。 ために1951年8月、州政府の学務局から停止命令が下った。それでも続けようとし、学務局と交渉して始めた。が、再停止命令を受けた。ところが、なお諦めず、学務局内に協力者を確保、合法化の道を見つけ継続した。 それほど執着した日本語教育も、今や風 ...
続きを読む »静岡県菊川市=外国人児童の教育現場は今=人格形成と社会適応の現実=(9)=子供たちの心はぎりぎりに
1年ぶりの先生との再会に、日本語でのおしゃべりが止まらないのはナラ・ユナ・エミリーさん(中1)。昨年ルーマニアから来日し、焼津の教室で学んだ。「最初はこんにちは、ありがとう、おなかすいた、しかわからなかったの」とおどけて話す日本語は、来日1年とは信じられないほど達者だ。 それを笑顔で聞いているのは馬場小百合さん(26)。彼女も ...
続きを読む »『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(72)
今や日系は10パーセント 1957年、入植25周年を機に実施された人口調査に、それが現れている。この調査は、ブラ拓が造った区のみを対象としているが、住民は日本人・日系人1万1000人に対し、非日系2万7000人、計3万8000人となっている。日本人・日系人は、この時点で、すでに30%を割っていたのである。 こういう具合に、非日系 ...
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