2015年
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第29回=吹き出す戦前戦中の怨嗟
同選集第2巻に収録されている安井新(本名・藪崎正寿)の小説『路上』(1958年第2回パウリスタ文学賞受賞)には、戦中の45年2月、一千家族の日本人植民地が約400人の州兵によって徹底的に家宅捜索され
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第28回=歴史がムリなら小説に投影
病気を治すには「自分が病気であることを認識する」のが第一歩だ。つまり、ストレスの原因がブラジル社会との関係にあったと日系社会が自己認識するには、移民史の中に記す必要があった。 ところが、戦中の迫害を
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第27回=「圧力鍋」が爆発した理由
『不適応』は、海外不適応の舞台がブラジルのような《発展途上国では、一般に万事が激烈であり、また直接的な形をとりやすい。まず、在留邦人の呈する不適応現象の表れ方は、どちらかというと急激で強烈なものとな
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(55)
カマラーダが暴動 1936年のことである。一夜、市街地で、一人のカマラーダが銃で殺された。その頃の所轄だったジャタイ署から警官が来たが、犯人不明のまま二日後、引き上げた。 すると、西村組で働いていた
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第26回=社会不適応という圧力鍋
戦後移住開始は1953年。日本から渡伯する分には渡航費補助が支給されて5万人がブラジルに送り込まれたが、戦前からの環境不適応者数百人を「邦人保護」の観点から送り返す発想はなかった。戦後移住開始直後に
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(54)
区会、青年団 大人は時々、寄合いをした。それは熱気に溢れていた。やはり資料類に掲載された「開拓期を語る座談会」の記事の中に、その様子が語られている。こんな風に──。【後藤】「その頃の区会は実に真剣だ
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第25回=不適応という心の傷
1980年にNHKブックスから刊行された『日本人の海外不適応』(稲村博著、以下『不適応』)という興味深い本がある。 《著者は過去十数年の間に、世界の各地を訪れる機会を持ったが、どこへ行っても不適応現
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(53)
最初の小学校は、中央区にできた。移住地の開設早々の1932年に仮教室、生徒13名で始め、翌年に校舎を建設、開校した。以後、区ごとに、入植者がある程度の数になると、新設した。 学校には、日本語科とポル
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第24回=日本移民が抱く故郷喪失感
「帰りたくても帰れない」――これを故郷喪失と言わずして何というのか。「ディアスポラ」(離散した者、故国喪失者)という言葉は、日本人には身近ではないが、「生まれた場所を追われて離散し、祖国喪失感を刻ま
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第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(7・終)=日本移民百周年学校を訪問=教育に力入れる春日カルロス氏
文化センター「江戸村」では、子供たちがかわいらしい着物姿で童謡「紅葉」を歌いながら迎えてくれた。この通りは「カルロス・カスガ・オサカ」通りと名付けられている。メキシコ日系社会のドンと呼ばれる春日カル