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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)

『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(14)

水野龍三郎さん一家

 しかし不思議である。笠戸丸移民で、大量の被害者を出し、その人々から恨まれていた水野龍に、一方で、帰伯費用を送り、住む家まで心配する友人たちが居た。何故だろうか?  この点、筆者は長く不可解なままであった。  2013年、水野の息子の龍三郎さんが、クリチーバに健在であることを知った。一度会いたいと思った。疑問を解く手がかりが見つ ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(13)

 何としてでも植民地を建設すべく、苦心を重ねながらも、結果として、時勢から外れてしまった水野龍は、何をして居たろうか。  クリチーバの小農場で、カスカベルを焼いて粉にし、毎日呑み、70歳を越していたのに、子供を二人つくった。  天照大神を信奉、毎朝、未明に起床、神前に灯をともして、故人となった縁者数百人の過去帳を読み上げていた。 ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(12)

 前項の様な次第で、クリチーバに現れた初期の邦人は、水野龍の粗放さの被害者が多かった。ところが、その水野が1926年、ここに転住してきた。といっても、単なる偶然であったが‥‥。  被害者も殆ど去っていた。  水野は家族連れであった。町外れで小さな農場造りを始めた。歳は六十代半ばを過ぎており、当時としては完全な老人であった。孫ほど ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(11)

婚約者から逃げて来た男  1909年には、もう一人の日本人がクリチーバ入りした。AYUMIによると、シンキチ・アリカワという名で、「婚約者から逃げてきた」と言っていたという。  笠戸丸の2年前、1906年、隈部三郎一家と日本から来た7人の青年の一人、有川新吉だった。  隈部は、改めて紹介する必要もあるまいが、元は鹿児島県の判事で ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(10)

 今日、クリチーバ市の人口は約200万である。日系は2~3万、と地元の人々は推定している。  しかし日系は終戦までは、ごく少なかった。前出の東野光信さんは「100家族は居なかったでしょう」と言う。  が、戦後増えた。これは次の様な理由による。  クリチーバは州都で、経済的にも大きく発展、大学などの教育機関、病院、その他の施設が多 ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(9)

 筆者は、終戦直後の邦人社会の騒乱を長く取材している。感ずることは多々あるが、特に、その渦中で起きた襲撃事件には、心を捉われる。被害者、加害者のことが屡々、脳裏に浮かぶ。被害者には無論同情しているが、加害者の後半生も、時に気になる。  (どう生きたのだろう か?)と。  何処か、日系人の居ない所でヒッソリ暮して生を終えた、あるい ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(8)

東野家の受難  話の時期は、再び1942年に戻るが、ケブラケブラは、実はパラナグア湾の南岸地域より半年前、クリチーバの市内で起きていた。  AYUMIによると、1942年3月19日、ほぼ1万の群衆が、市内中心地のプラッサ・オゾリオに集り、気勢を上げた後、枢軸国人の商店、銀行、工場、クルーベを襲った。  その頃は未だ市街地の日本人 ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(7)

シャカラ・カカトゥから海岸山脈を望む

 既述したが、筆者は2014年、アントニーナを訪れた。この折も、山下亮さんに無理を言って、車で連れて行って貰った。  途中、海岸山脈を横切った。山峡の高速道路を走っている時、上を見上げると、海抜千数百㍍という山の峰々が、こちらを圧倒していた。  この山中には別に旧街道があり、昔はそちらを使ったという。1942年9月、雨の中を二日 ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(6)

被害者の直話  アントニーナと同時にパラナグアでもケブラケブラが起きたが、筆者はその被害者の一人から、直接、話を聞くことができた。2014年のことである。  クリチーバ市内に、東野一子という老婦人が住んでおり、少女時代、難に遭ったという。(東野 ヒガシノ、一子=カズコ)  筆者は──この南パラナの取材に協力してくれた──クリチー ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(5)

 1939年、欧州で大戦が勃発。後に第二次世界大戦と命名。  1941年12月、日本が米英に開戦。翌1月末、ブラジル、日本と国交を断絶。  何の責任もなかったが、在伯日本人に対する迫害が、各地で始まった。 ケブラケブラ、発生!  1942年9月、アントニーナとパラナグアで、突如、ケブラケブラが発生した。暴徒の群れが、枢軸国人の商 ...

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