『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(4)
二人妻 長谷川武は人格者で、後に邦人社会のため献身的に尽くした──と資料類には記されている。 以下、前出AYUMIよるが。── 長谷川がサンタ・オリンピアに居た時、高田はまこという女性がやって来
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(3)
マレッタで仲間の4人が去った後、残りの長谷 川武と堀部栄吉は、少し北のカショエイラ川の近くに移動した。そこは地主によると「マレッタの心配はない」ということであった。 しかし二人だけでは、どうにもな
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(2)
アントニーナに未だ活気があった1907年、―日本人が訪れた。名は内田定槌(さだつち)。 リオ州ペトロポリス駐在の日本公使であった。 ポ語版のパラナ州日系社会史『AYUMI(歩み)』によれば、内田
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(1)
前回の『北パラナの白い雲』を書いた折、筆者は取材のため、現地を10回近く訪れた。2013~15年のことであるが、その間、何度か南パラナにも足をのばした。 ただ、この南パラナ行は、事情があって、クリ