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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子

日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(19)

 故郷に帰り、賑わっていた町並みや焼け跡の原っぱを自由に歩き回ったりする夢は1943年3月3日に崩れ去った。 その日、最高軍事裁判所は国内の安全法令を犯した犯罪者の刑罰を発表したのである。 1942年4月14日に逮捕された平兵譽は8年の禁錮刑、1942年3月26日に逮捕された西山武雄には6年6カ月の禁錮刑、1942年5月26日に ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(18)

 兵譽は杉俣政次郎が両親に宛てた手紙を読んで驚かされた。彼が悲しみのどん底にあることを知れば両親はもっと嘆き悲しむことであろうから。 手紙には次のようなことが書かれていた。 《お父さん、お母さん、お会いできる日を待ち望んでいます。また、兄弟たちにも会いたいです。ここに閉じ込められているのは拷問に等しく、苦しいです。 寝ることはほ ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(17)

 書類第9号の翻訳の終わりに、署長は次のような事を報告している。    ☆    《上述の内容に関連して、他の者以外にも次の証人の話を聞いた。サクイチ・ウチガミ、タカノブ・マツモト、アキラ・タニグチ、センジロ・ハタナカ並びにフェジシゲ・アケウチ。いずれもバストスの日本人コロニアでは著名な人物ばかりである。また、ユゴ・クサカベ、兵 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(16)

 書類8を添付した後にルツガルデス・ポッジ・デ・フィゲイレード補佐官は次のようなコメントを書き記している。原文のまま引用すると、 「本件に関して、種々の調査の結果、ヘイタカ・タイラはサンパウロ州、ツパン市、バストス区にある日本人グループによる政治的活動機構の一員であることが判明した。同機構は同胞の指導者、ユゴ・クサカベのもと、次 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(15)

 そのような事を許せない日本人のグループにより「大政翼賛同志会」が作られた。これの元になった「大政翼賛会」は、近衛文麿を中心として日本に作られた左右合同の政治団体だった。 「大政翼賛同志会」はブラジル在住の日本人移住者を自国に帰還させるための運動をしたグループで、その最中に日本人の平兵譽が4月12日に、イツーの町で逮捕されたので ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(14)

 リストはつづき、安保三次郎、安保ハツタル並びに安保ハルの子息、32歳、既婚者、日本人、秋田県出身、耕作人、仏教徒、ペレイラ・バレット駅在住。 安保キタロ、安保サブロ並びに安保ヤスの子息、22歳、未婚、日本人、秋田県出身、耕作人、バストス在住。三次郎とキタロは兄弟であった。 ついで平兵譽の名前がリストに挙がっている。善次郎(Ze ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(13)

 兄さんが投獄されてからひと月たったころ、善次郎は、いつものように太陽が顔を出すずっと前に起きていた。バケツの水を半分たらいに移し、体を洗い始めた。 髪をまんべんなく濡らしてから、後ろに櫛ですいていた。額の両側の入り込みがあり、そのうち禿げるようになるだろう。お湯を沸かそうと思ったとき、薪がないことに気づき、木を取りに外に出た。 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(12)

 兵譽は通行許可書(枢軸国の移住者には必携だった)をもっていなかった上に、そのころ、禁止されていた日本語のパンフレットの包みを抱えていた。 通行許可書はオレンジ色の手帳で、その所有者がどこからどこへ行くのかを書き込むスペースがあった。手帳の裏表紙には通行を許可する行動範囲が書かれている。(1)本手帳の所持者は一定の区間、並びに期 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)

 ブラジルは日本国に対しては宣戦布告をしていなかった。その日、ブラジルの新聞は大見出しで「民主のため、自由のため、正義のためブラジルは全国民の意を受けて、ドイツ、イタリアに対する戦争を容認した」と報じた。 このようにして、正式にドイツとイタリアはゼツリオ政権の敵国になってしまったのだが、この二つの国からの移住者やその子弟は、南部 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(10)

 池田アントニオ(本名・龍生)はサンパウロ州の奥地、アシス市に住んでいた。実家は大阪で狩猟用の武器製造工場をもっていたそうだが、ブラジルでは刃物製造に従事していた。たぶん、狩猟の武器との連想からか、射撃手としての名声が広まったものであろう。 彼は武器には強い関心を抱いていて、家の地下室には多くの銃が、まるで戦争博物館のようにあっ ...

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