日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(19)
故郷に帰り、賑わっていた町並みや焼け跡の原っぱを自由に歩き回ったりする夢は1943年3月3日に崩れ去った。 その日、最高軍事裁判所は国内の安全法令を犯した犯罪者の刑罰を発表したのである。 1942年
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(18)
兵譽は杉俣政次郎が両親に宛てた手紙を読んで驚かされた。彼が悲しみのどん底にあることを知れば両親はもっと嘆き悲しむことであろうから。 手紙には次のようなことが書かれていた。 《お父さん、お母さん、お会
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(17)
書類第9号の翻訳の終わりに、署長は次のような事を報告している。 ☆ 《上述の内容に関連して、他の者以外にも次の証人の話を聞いた。サクイチ・ウチガミ、タカノブ・マツモト、アキラ・タニグチ、
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(16)
書類8を添付した後にルツガルデス・ポッジ・デ・フィゲイレード補佐官は次のようなコメントを書き記している。原文のまま引用すると、 「本件に関して、種々の調査の結果、ヘイタカ・タイラはサンパウロ州、ツパ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(15)
そのような事を許せない日本人のグループにより「大政翼賛同志会」が作られた。これの元になった「大政翼賛会」は、近衛文麿を中心として日本に作られた左右合同の政治団体だった。 「大政翼賛同志会」はブラジル
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(14)
リストはつづき、安保三次郎、安保ハツタル並びに安保ハルの子息、32歳、既婚者、日本人、秋田県出身、耕作人、仏教徒、ペレイラ・バレット駅在住。 安保キタロ、安保サブロ並びに安保ヤスの子息、22歳、未婚
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(13)
兄さんが投獄されてからひと月たったころ、善次郎は、いつものように太陽が顔を出すずっと前に起きていた。バケツの水を半分たらいに移し、体を洗い始めた。 髪をまんべんなく濡らしてから、後ろに櫛ですいていた
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(12)
兵譽は通行許可書(枢軸国の移住者には必携だった)をもっていなかった上に、そのころ、禁止されていた日本語のパンフレットの包みを抱えていた。 通行許可書はオレンジ色の手帳で、その所有者がどこからどこへ行
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
ブラジルは日本国に対しては宣戦布告をしていなかった。その日、ブラジルの新聞は大見出しで「民主のため、自由のため、正義のためブラジルは全国民の意を受けて、ドイツ、イタリアに対する戦争を容認した」と報じ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(10)
池田アントニオ(本名・龍生)はサンパウロ州の奥地、アシス市に住んでいた。実家は大阪で狩猟用の武器製造工場をもっていたそうだが、ブラジルでは刃物製造に従事していた。たぶん、狩猟の武器との連想からか、射