日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(9)
第3章 大和魂 戦争の気配がこくなると、地方での話題はもっぱら戦さに関するものになった。一九四〇年に第二次世界大戦が起こり、世界は二つに分かれた。 日本、ドイツ、イタリアによって構成されて枢軸国側
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(8)
畑仕事に明け暮れていた家とは大いに違い、ツパンの家は住家としては、申し分のないもので大変な進歩といえる。家は大きな敷地内にあり、果物の木もあり、畑を作るだけのスペースもあった。井戸からは澄んだおいし
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(6)
農園主が雇用者に対して行っている搾取はあきらかだった。彼らは自分たちの不正を隠そうとして、一九二九年にニューヨークの株市場で起きた世界大恐慌をたてにとって、安い賃金を支払いつづけていた。この世界大恐
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(5)
このようなわけで、日本人同士団結して農業組合を立ち上げる試みが行われた。成功したものもしなかったものもあるが、ともかく、今日でも新聞を広げると、当時の移住者が経験したのと同じようなことをいまだに継続
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(4)
この移民収容所は一八八七年に創設されたもので、一世紀にわたって六〇カ国余から移住者を受け入れてきた。もともと、移住者は奴隷の代わりに労働者として受け入れられていた。ところが、奴隷解放を謳った「アウレ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
英新は六十二歳になるまで乗馬の経験があることを黙っていた。 それは、息子や孫たちとサンパウロ市からそう離れていないカブレウーバにキャンプに出かけた時のことだった。キャンプ場の管理人が一頭の馬を引いて
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(2)
善次郎は七年前に五人の子どもを引き連れて、神戸港からモンテヴィデオ丸に乗り、移民としてサントス港に着いたのだ。それは一九三一年のことだった。 ブラジルと日本の政府の合意により、多くの移住者がやってき
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(1)
第1章 苦いコーヒー ガラスもなくカーテンもない裸の窓からは、朝日がサンサンと差しこんでいた。風もないのに歩くたびに埃がまいあがり、その日もまた朝から暑い夏の一日になることが予想された。一九三八年一