県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=(第27回、最終回)=国内線で日語アナウンスの快挙
空港に向かうバスを待つホテルのロビーで、一行の山中タツミさん(86、愛媛県)=サンパウロ州カンピーナス市在住=に今回の旅の感想を聞くと、「カピトン・フジタの別荘でやった、マンガの木の下でやった慰霊ミ
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第26回=司教がピウンで慰霊ミサ
最終日3月16日(水)の朝、一行のうち28人だけで、ピウン植民地に向かい、慰霊ミサを行った。訪問先は現在も同植民地内に住む松苗賢治さん(72、神奈川県)の自宅で、150人全員は入りきれないという判断
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第25回=ナタルにもいたコチア青年
ナタルでは珍しい60代の一世、野溝稔さん(のみぞみのる、68、長野県)は13歳の時、1961年にあるぜんちな丸で家族と共に渡伯した。「ナタルで一世は全部で10人いるかどうか」という。 最初はサンパウ
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第24回=北山さん「死ぬまでピウンに」
ピウン植民地で育った長島俊行さんは「ロサンゼルス経由の船で来た日本移民が、スイカをそこで買って種を持ち込んだんですよ。最初、庭先に植えてうまくいった。1958、9年頃かな、それを本格生産してみたら出
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第23回=苦労絶えなかったピウン植民地
北大河州日伯文化協会の青木イサシ・ミウトン会長は「僕は南米銀行のナタル支店に勤務し、その当時1996年9月12日にこの協会を創立した。98年に南銀が吸収合併された後も、この町に残った」と自己紹介した
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第22回=米空軍基地あったナタル
3月15日午前、一行は最後の目的地、北大河州の州都ナタルに向けて出発した。市内観光の時、地元ガイドが戦中の興味深い歴史を語った。 第2次世界大戦でブラジルは連合軍に入り、ヴァルガス政権はこの町に米空
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第21回=戦前から盛んだった洗濯屋
3月14日、大谷農場を後にした一行は、国内で作られる海水を原料とする塩の97%が生産されている北大河州の海岸部にある塩田を訪れた。 州塩生産組合会長でもある市観光局長のレナト・フェルナンデスさん(5
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第20回=小5中退のトラウマをバネに
大谷さんは「日本人は良い作物を作るが、販売が弱い。だから輸出は、信用できるブラジル人のパートナーに任せている」と力説した。それが「レアル・フルッタ」という日系人を中心とした生産者集団だ。他のメロン生
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第19回=雨が降る有難さを痛感
北大河州では3~5月が雨季だが「まったく当てにならない。ここ4年ほどずっと干ばつが続いている」という。「雨でメロンを作ると天候に頼らなくてはならない。だから、雨の降らない所で、乾期に必要な分だけの液
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第18回=世界から欧州に集まるメロン
やはり地元の松本カルロス幸夫さん(52、二世)にも話を聞くと、かつては450ヘクタールほどメロン栽培をしていたが、今は300だという。「9割が輸出。理想は輸出7割、国内3割だな」という。聞けばピラシ