県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第17回=モソロー初の日本人は炭坑離職者
懇親会会場であるホテルには入来田純一さん(67、福岡県)が来ていた。彼の父が同地最初の日本人、邦男さんだ。1961年に家族で渡伯、当時純一さんはまだ中学一年、13歳だった。「こっちにきて殆ど学校に行
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第16回=毎週種まきと収穫をする農業
3月13日(日)午後、一行は北大河州モソロー市にあるホテル・テルマス・デ・モソローに投宿し、ゆっくりと温泉プールを楽しんだ。セアラ―州都フォルタレーザと、そのすぐ南に位置する北大河州都ナタルは約40
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第15回=終わらないコロニアの戦後
パ紙1954年1月15日付も、桜組挺身隊が前年11月から南聖のペドロ・デ・トレード、イタリリー、アナディアス方面に現れ、《「無料帰国」をエサに相当額の金子を搾取しているとの情報がある》と報じた。 詳
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第14回=堀沢を殺しに行くと決意
終戦後、数年が経ち、中村伯毅さんは子供心に「何かおかしい」と思い始め、父を問い詰めた。「僕は何回も『お父さんは騙されている。もう止めてくれ』と考え直すように、お願いしたが、父は聞いてくれなかった。僕
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第13回=帰国手続き詐欺の被害者
中村伯毅さん(ひろき)の話は、終戦直後に起きた「帰国手続き詐欺」だ。土地証書など一式をブラジル政府に預ければ、日本への帰国船の手続きをしてくれるというもので、その手続き料、必要経費などと称して毎月の
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第12回=「母の勇気の何分の一かあれば」
竹中芳江さんの家族の話は実に興味深い。「グァポレに到着した時、他の家族はみんな泣いていたけど、母だけは歌っていた。だってアマゾンにきて初めて、家族が全員そろって御飯食べたのよ。あそこにいた3年半で家
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第11回=「コチア解散でコロニアがバラバラに」
12日の夕食時、大崎康夫さん(77、高知県)=ピエダーデ在住=に話しかけると、「僕は葉山村(津野町)出身、下元健吉と同じ部落なんです」との言葉にググッと心を引き寄せられた。 「川向いが下元の実家。子
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第10回=「移住したおかげで命拾い」
一行のうちで最長老、92歳でしゃきしゃきと歩き回る武田勝喜さん(熊本県)は、14歳の時に渡伯した。「一緒に住んでいた叔父さん(父の弟)が結婚し、『どうしても移住したい』っていうんです。それには『働き
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第9回=セアラー唯一のコチア青年
同協会メンバーの桜庭セルソさん(61、二世)は20年前に仕事の関係でサンパウロ州から移り住んだ。ブラジル民謡協会の故桜庭喜太郎さんは伯父に当るという。「現在の会員は100家族ほど。多いときには運動会
-
県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第8回=中尉「父は死にそうに失望した」
ルジアさんは「戦中のこの記憶は、家族のトラウマとして残ったわ。私たち子どもの服や本まで無くなったのよ。壊された家のドアや窓を直して、ようやく戻れるようになるまで、親戚の家の、土間の家政婦部屋に家族で