ルジア説ではこの時にアマゾン下りをし、最初はベレンに住み着いた。おそらく1920年頃だろう。 1922年頃に、友人の中国人に誘われてセアラ―に南下し、日本人が誰もいないフォルタレーザに居つき、近郊のプクリペにあるオタヴィオ・フロッター農場の菜園で働いた。そこで現地の娘コスマ・モレイラ(通称ネネン)と出会い、1926年2月に結婚 ...
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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第6回=親の借金返済に南米デカセギ
藤田十作日本庭園を2012年に訪れ、その存在を最初に記者に教えてくれたのは、元文協会長の山内淳さんだった。 彼からその時に受け取った資料によれば、フォルタレーザ市で発行されている新聞「オ・ポーボ」紙1966年1月18日号は同市に移り住んだ外国人家族の連続レポートの特集を組み、その第1弾として藤田十作を報じていた。 それは、ルジ ...
続きを読む »県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第5回=藤田十作l908年にペルーへ
12日(土)午前9時半、一行約150人はフォルタレーザ市のはずれにある、先駆者・藤田十作の子孫が持つ別荘に到着した。入口には直径10メートルほどの大きな鳥の檻、見事な熱帯植物の木々、子供の遊戯場、テニス場、プールもある豪華な施設だ。 マンゴーの巨木3本に囲まれるようにしてできた木陰に、150人分の椅子が並べられ、その一角に祭壇 ...
続きを読む »県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第4回=風力発電の壮大な無駄に驚き
イタイプーダムを救った「8人の侍」の一人、千田功さんは、湾岸戦争を機にメンデス・ジュニオール社の仕事を辞め、その後91年頃から日本にデカセギへ行っていた。「5年間は東京都の日野自動車社、残りの5年間は茨城県の旭ファイバーグラスで仕事をやっていた。ブラジルにいる妻とはときどき電話で話すだけ。10年間一度もブラジルに戻らなかった」 ...
続きを読む »県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第3回=イタイプーのあとデカセギへ
湾岸戦争は1991年1月17日に多国籍軍の空爆から始まった。元をたどれば、前年8月にイラクがクエートに侵攻したのが発端だ。 「イラクではナッシリアという町に住んでいたんだが、秘密警察があちこちにいてね、嫌な町だったな。もし休暇をとってブラジルに帰っていなかったら、僕も人質になっていた。10カ月待っても工事を再開しなかったんで、 ...
続きを読む »県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第2回=『8人の侍』謎の一人後日談
11日午前中に一行は、フォルタレーザ市内の高級別荘地が立ち並ぶメイレーレス海岸にある「藤田十作日本庭園」を観光した。鳥居やスズラン灯、滝のある日本庭園も造られ、一等地にある立派な公園だ。プレートを見ると、観光省から予算をもらって、移民百周年を記念して建設したものだ。 当時の記事を読んでみると、08年にセアラ―州日伯文化協会(藤 ...
続きを読む »県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第1回=「ここにジャポネースあり!」
ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)が主催する第45回「移民の故郷巡り」一行149人は、3月10日から16日までセアラー州都フォルタレーザ、北大河州モソロー、同州都ナタルを観光し、現地日系人と交流した。「どこに移民の故郷が?」と首をかしげるほど日系人が少ない北東伯だったが、〃アマゾン下り〃のセアラー州の先駆移民・藤田 ...
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