第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(19)=「ようやく参加できる身分に」
10月3日朝、一行の中には、吐き気や腹痛などの食中毒らしき症状が20人ほど出たが原因は不明。大事に至ることはなくなんとかバスに乗り込み、最終目的地のジュレマ温泉に向かった。 ホテルの朝食時、たまた
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(18)=副市長とケンカ、豪快な戦後移民
カスカベル現地で野菜生産する田邉誠さん(75、新潟県)は1961年11月に呼び寄せで渡伯。北パラナのアサイ移住地の近く、アモレイラに入植した。「日本の物差しは小さすぎ、生活に夢がなかった。まだ20歳
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(17)=「野菜はまかせろ」コチア青年
猪俣会長の叔父、猪俣征幸さん(73、大阪府)にも話を聞いた。1959年1月サントス着のブラジル丸で渡伯した。「猪俣家は両親と6人兄弟の計8人で来た。僕は富男の父の弟」と自己紹介した。 「大阪にいた
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(16)=全伯一の幼年の和太鼓
2日夜にはカスカベル文化体育協会で慰霊法要が行われた。今回は天理教カスカベル教会(小笠原俊一会長)が法要を行い、猪俣会長と本橋団長が代表して献花をした。今回の旅で訪問した3カ所とも宗教が異なり、伝統
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(15)=レジストロから17人も参加
2日の昼食時間に、今回レジストロから17人もの参加者があったうちの二夫婦に話を聞いた。セッチ・バーラスに住む大矢ジョルジさん(82、ペドロ・デ・トレド生まれの二世)、良子さん(78、第3アリアンサ生
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(14)=「ブラジル来たから助かった」
10月2日(日)朝、グアイーラのホテルで一緒になった参加者の一人、渡部(わたのべ)秀樹さん(64)と話していて、出身が福島県相馬市と聞き、「震災で身内の方は大丈夫でしたら?」と聞くと、深刻な話がかえ
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(13)=アマゾンとグアイーラの奇縁
2001~02年に会長を務めた須賀博義さん(72、群馬県)に文協の主な活動を聞くと、新年会、運動会、老人会(月1回)、忘年会。市が主催するフェスタ・ダス・ナッソンイス(民族芸能祭)にも参加している。
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(12)
1958年に同郷会の呼び寄せで渡伯した会田(あいた)さんは、最初の4年間、サンパウロ州ピンダモニャンガーバに入り、4年後の1962年にグアイーラに移った。以来、ここに根を張り、農業で生き抜いていた。
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(11)=アサイ移住地から大挙入植
戦前から戦中にかけてマテ・ラランジェイラ社は、川上の南麻州ポンタ・ポランから川下のイグアスまでの流域全体に強い権益を持ち、栄華を誇った。 ところが第2次大戦がはじまるとアルゼンチン政府はブラジル産
-
第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(10)=ブラジルより亜国と関係の深い地
バンデイランテスが破壊しつくしたグアイーラの町周辺が、再び脚光を浴びるようになるのはなんと300年後だ。1882年にトマス・ラランジェイラという商人がパラグアイ戦争で協力した功績により、ブラジル帝国
- 1
- 2